名馬列伝 第4回 「シルクジャスティス」
○基本情報
父 ブライアンズタイム
母 ユーワメルド
母父 サティンゴ
馬主 シルク
調教師 大久保正
主戦騎手 藤田伸二
通算成績 27戦5勝 [5-3-3-16]
主な勝鞍 有馬記念
○概要
名馬列伝第4回は3歳で有馬記念を制したシルクジャスティスです。
藤田伸二騎手とのコンビでターフを湧かし、記録より記憶に残る馬の代表格ではないでしょうか。
先日残念ながら老衰のため亡くなってしまいましたが、充実の3歳時からその後活躍を期待されるも低迷した古馬での成績。
しかし、いつかは復活する時が来ると信じ、その姿を追い続けたのは懐かしい思い出です。
○戦績
シルクジャスティスのデビューは2歳の10月で、レースは後の戦績からは考えられない芝の1200m戦でした。
人気こそ当時の有力種牡馬であるブライアンズタイム産駒でしたので3番人気となっておりましたが、レースはまったく良いところがなく惨敗でした。
それからダートの1200mの未勝利戦を2戦しますがこちらも共に惨敗、未勝利のまま2歳を終えます。
大久保正調教師はレースで馬を育てると言われていましたが、いくらなんでもシルクジャスティスの1200m戦は結果論にはなりますが全く距離適性があっていない判断であったと思います。
年が明けて3歳になったシルクジャスティスは、距離を延ばすことを選択しダートの1800mの未勝利戦の望みそこで5着と入選します。
1200戦では全く勝負になっていなかったのですが、1800mに距離が伸びてシルクジャスティスの持ち味が多少出てきました。
その後1800mのダートの未勝利戦ではを2着・3着と着実に結果を残し、迎えた3月の1800mダートの未勝利戦で1着となりデビューから7戦目にして待望の初勝利を上げました。
しかし、ここまでの戦績は決して一流馬のそれではなく、この時点でダービーの出走はおろか暮れの有馬記念を勝つと予想した人はまずいなかったのではないでしょうか。
そしてシルクジャスティスが次に向かったのが、今までの戦績からは無謀と言わざるを得ない格上挑戦となる皐月賞への最終搭乗便のG3毎日杯でした。
デビュー戦こそ芝でしたがその後はダートのみを走っており、前走ようやく未勝利戦を勝ったばかりのシルクジャスティスは当然のごとく14頭中の12番人気と低評価での出走になりました。
しかし、このレースでシルクジャスティスは誰もが予想だにしなかった好走を見せることとなります。
スタートして久しぶりの芝のレースに戸惑ったのか馬群についていくことができず最後方からのレースになったシルクジャスティスですが、4コーナーから徐々に押し上げ更には直線でも鋭い伸び足をみせます。
最後は突き抜ける勢いではありましたが先頭にはわずかに届かず、1/2,3/4 という僅差の3着でゴール、低評価を覆す走りを見せてくれました。
このレースで何かきっかけをつかんだのか、ここからシルクジャスティスの走りは激変していきます。
シルクジャスティスが次のレースに選んだのは、当時は皐月賞と同じ週におこなわれていたOP特別の芝草Sでした。
このレースは皐月賞に出走できなかった馬が集まるレースで、今ですと牝馬の忘れな草賞の牡馬バージョンの位置づけのレースです。
人気も前走のレースぶりから2番人気に支持され、遅ればせながらシルクジャスティスのダービーに向けた戦いが始まります。
スタートして前走と同様に最後方からのレースになりましたが、前走のついていけなかった感はなく鞍上の武豊騎手があえて後方に待機しているように見えました。
そして直線に入り前走と同様鋭い足で追い込み全頭をごぼう抜き、最後は2着馬に1・3/4 馬身差をつけてゴールし前走の激走がフロックでないことを証明しました。
この時点で晴れてオープン馬になったシルクジャスティスでしたが、500下のレースを勝っていないためダービーの出走は賞金的に微妙な状況でした。
そこでダービー出走と重賞初勝利をかけて、ダービーへの最終搭乗便であり関西の秘密兵器を数々誕生させてきた、G3の毎日放送京都4歳特別(現在の京都新聞杯と同じ位置づけです)に出走します。
ここでシルクジャスティスは生涯の相棒となる藤田伸二騎手と出会うことになります。
藤田伸二騎手は未勝利戦では何度か鞍上を務めていたので初めての出会いではありませんが、ここから先は現役引退するまでの全レースで騎乗することになります。
そして鞍上だけでなく、シルクジャスティスのレースぶりもさらに進化していきます。
今まで通り最後方からのレースにはなりましたが、今回は3コーナーから上がっていき直線入る頃には好位に取り付き、そこからさらに二の足を伸ばしてグングン加速して2着に1/2馬身差の1着でゴール、3着はそこから7馬身離れていました。
このレースの結果、末脚が鋭く東京競馬場との相性も良いと考えられ、西の秘密兵器ではなく有力馬の一頭としてシルクジャスティスは3歳馬の頂点を決めるダービーに駒を進めることとなります。
この年のクラシック路線ですが、春先まではメジロブライトが有力馬として挙げられていましたが、スプリングステークスと皐月賞で敗退、その皐月賞では伏兵のサニーブライアンが勝利したこともあり、ダービーでは本命と呼ばれる馬が不在でした。
その為、シルクジャスティスはダービーへの王道ローテーションの皐月賞でもダービートライアルでもなく、別路線からの出走であったにも関わらず当時としては珍しい高評価となる3番人気としてダービーに挑みます。
一番人気はそれでもメジロブライトで、2番人気は武豊人気もあってか弥生賞を勝利していたランニングゲイル、4番人気は当時はまだ未知数であった新星のサイレンススズカ、そして人気の一頭となるはずであった皐月賞の2着馬シルクライトニングは怪我により発送除外となり、さつき賞馬のサニーブライアンは6番人気での出走でした。
レースはスタートして皐月賞馬のサニーブライアンが大外からゆっくりと先頭を伺い宣言通りの逃げに出ます。
シルクジャスティスはいつも通りの後方からの競馬で、その少し前にいるメジロブライトを見ながらの競馬となりました。
レースも進み直線に入りシルクジャスティスはメジロブライトと共に追い上げに入りますが、中々先頭を行くサニーブライアンとの差が縮まっていきません。
皐月賞はフロックと思われていたサニーブライアンですが、このレースでも力強い逃げで後続馬との差を保ったままゴールに向かっていきます。
メジロブライトと共に最後まで外から追い上げたシルクジャスティスでしたが最後は一馬身及ばずの2着、そこから半馬身差の3着でにメジロブライトが入りました。
伏兵と思われていたサニーブライアンの逃げを軽視したわけではないと思いますが、結果的に有力馬のメジロブライトを目標としてけん制しあったたようなレースとなり、メジロブライトこそ交わすことはできましたがもう一頭前のサニーブライアンには届かず惜しい2着でダービーを終えます。
しかし後方から見せたこの鋭い末脚は褪せることはなく、2着に敗れてはしまったものの今後のレースに期待を抱かすものでした。
ですが中々予想通りに事が運ばないのが競馬です。
前年の10月のデビューから休むことなく使い続けダービーまでの約8か月間で11レースというハードなローテーションの疲れをを少しでもいやすため、ダービー後は秋の雪辱に備えて休養に入ったシルクジャスティスでしたが、秋競馬ではその期待に中々答えることができまえんでした。
迎えた秋初戦の菊花賞トライアルの神戸新聞杯では最後方から捲っていき直線に入った所まではよかったですがそこから全く伸びることなく8着に惨敗します。
次に選択したのは菊花賞トライアルではなく古馬との戦いとなる京都大賞典でしたが、ここでは最後方から直線の競馬で優勝し前走の敗退を払拭しますが、迎えた本番の菊花賞ではまた惨敗してしまいます。
春の二冠馬のサニーブライアンは故障により回避となりましたが、代わりに菊花賞トライアルの神戸新聞杯と京都新聞杯を連勝してきたマチカネフクキタルが台頭し、春からのライバルであるメジロブライトと3頭が人気となってレースを迎えます。
レースでは菊花賞特有のスローペースで直線の瞬発力勝負となり、優勝した好位から瞬発力に勝るマチカネフクキタルで、シルクジャスティスも後方からいつも通り追い込みはしますが5着まで上がるのが精いっぱい、不完全燃焼のレースとなりました。
春と同様にレースに使って強くなると考えられていたシルクジャスティスは、次のレースとしてジャパンカップが選択されます。
好走したダービーと同条件で直線の長い東京競馬場であれば3歳であっても十分通用すると思われ、差のない4番人気でレースに向かいます。
古馬からは天皇賞秋で争ったエアグルーブとバブルガムフェロー、海外からは強豪のピルサドスキーが相手となりましたが、ここでも菊花賞と同様に後方から追い上げるも前に届かずに5着に敗退。
優勝したのはピルサドスキーで、2着3着にエアグルーブとバブルガムフェロー、3歳馬としては差のない5着でしたので善戦と呼んでも良いのかもしれませんが、ダービーでのレースと比べてしまうとどこか不完全燃焼のようなレースにも見えてしまいました。
そしてこの年の最後のレースとして迎えたのが有馬記念になりますが、ここでシルクジャスティスは秋競馬の鬱憤を払うような激走を見せてくれます。
不振というには少し気の毒な気もしますが、期待に応えることができないレースが続いていたシルクジャスティスはこの年最後のG1レースを優勝で飾り晴れてG1馬の仲間入りを果たします。
レースにはこの年の宝塚記念を優勝しその後故障でレースから遠ざかり休み明けでの出走となったマーベラスサンデーが一番人気、ジャパンカップでも戦ったエアグルーブが二番人気、シルクジャスティスと同じく世代の3歳最強牝馬である未知の魅力があったメジロドーベルが三番人気、シルクジャスティスが4番人気として出走します。
人気馬の一角とはなっていたシルクジャスティスですが、直線の短い中山では脚質的に合わないのではないかという見方もあり、上位3頭とは若干離れた4番人気の評価になっていました。
レースが始まりシルクジャスティスはいつもと同じように後方に待機、そのすぐ前にマーベラスサンデーとその前にメジロドーベル、エアグルーブは好位からの競馬となりました。
3コーナーの手前で逃げていたカネツクロスが早々に力尽き後退していったのをはじまりに徐々に後続の追い上げが進みます。
マーベラスサンデーが3コーナーあたりから外から捲って上がっていったのを尻目に、シルクジャスティスも追い上げを開始、馬群の中に入り込み徐々にポジションを上げていきます。
直線に入ってからは早々に好位から進んでいたエアグルーブが先頭に立ち、そこに外からマーベラスサンデーが襲い掛かります。
シルクジャスティスはその少し後ろの馬群の中から前を走るその2頭を追い上げ徐々に徐々に差を縮めていきます。
エアグルーブとマーベラスサンデーの2頭が激しいたたき合いを繰り広げ、坂を駆け上がった直後にマーベラスサンデーがエアグルーブをとうとう競り落としゴールまであと少しと思った矢先、シルクジャスティスが外から猛追します。
そしてシルクジャスティスが勢いそのままに2頭をゴール直前で交わしたところがゴール。
2着マーベラスサンデーと3着エアグルーブとは頭・首差の接戦をものにし、シルクジャスティスが晴れて暮れのグランプリを制しG1馬の仲間入りをすることになりました。
シルクジャスティスの鞍上を務めていた藤田伸二騎手は常にシルクジャスティスが一番強いと発言し、馬の力を信じていましたがそれがとうとう実を結ぶ結果となりました。
有馬記念を優勝したことにより3歳馬でグランプリホースとなったシルクジャスティスは古馬での活躍も期待されましたが、残念ながらこのレースが最後の勝利となりました。
4歳となり古馬の王道路線として天皇賞春を目指したシルクジャスティスは、年明けの初戦として阪神大賞典に出走しメジロブライトの2着と好走します。
レースを使って強くなるシルクジャスティスにとって休み明けとしては上々の結果で、しかも今までの後方からの競馬とは違い好位からのレースを試みて展開に左右されない脚質に新たな可能性も示してくれました。
しかし期待された本番の天皇賞春では阪神大賞典と同様に好位からの競馬をこないますが、そのまま伸びきることができず4着に惨敗。
スローペースの瞬発力勝負で力を発揮することができず、ライバルであるメジロブライトがG1初制覇となる結果になりました。
このレースは前年の菊花賞と同様に長く良い足を使うシルクジャスティスにとって苦手とする瞬発力勝負となってしまったため、展開に恵まれなかった部分もあったと思われまだまだ今後の期待は薄らいではいませんでした。
しかしそんな思いも徐々に徐々に崩れていきます。
次走の宝塚記念では同世代で古馬になり本格化したサイレンススズカのの前にいいところなく6着に惨敗、期待された古馬の春シーズンを結果を出すことなく終えてしまいます。
春シーズンの惨敗からの復活を目指した秋は初戦の京都大賞典でこそ3着と今後に休み明けとしては悪くない結果を残しますが、その後のG1では再び期待を裏切ることになります。
サイレンススズカのレース中の故障が話題となった天皇賞秋は8着、ジャパンカップは一つ下の最強世代と呼ばれた3歳馬のエルコンドルパサーの前に8着、そして前年の覇者として臨んだ暮れのグランプリレース有馬記念でも最強世代のグラスワンダーの前に7着と全く良いところなく惨敗のレースが続きます。
特に一世代下の3歳世代は後に最強世代とも呼ばれるように強豪馬が揃っていたため、世代交代を印象付ける結果にもなりました。
翌年も復活を信じて現役を続けたシルクジャスティスでしたが、G2の日経新春杯と阪神大賞典をともに3番人気ながら6着と4着に敗退、続く天皇賞春では一つ下の最強世代のダービー馬スペシャルウィークの前に4着に敗退します。
天皇賞春では最後の直線で追い上げてきて一瞬復活の兆しが見えたかとも思いましたが、その後故障してしまい、一年後の金鯱賞で復帰するも最下位での敗退となり、復活した姿を見ることなくここに現役制覇を終えることとなります。
○引退後
引退後はG1馬として、また当時サンデーサイレンスと共に活躍していたブライアンズタイムの後継として種牡馬となりますが、3歳時の有馬記念以降の競馬でのレースぶりからか繁殖牝馬にも恵まれず、産駒からは平地の重賞の勝馬は現れることなく約10年ほどで種牡馬も引退しました。
種牡馬引退後に中山大障害を勝つ産駒が現れますが、これが唯一の勲章となりました。
その後新ひだか町の畠山牧場で余生を過ごしていましたが、つい先日の2019年の6月に老衰のためその生涯を閉じました。
○感想
中々初勝利を挙げることのできなかった2歳から3歳にかけてのレースからは、とてもその後に有馬記念を勝利する馬になるとは予想できなかったと思います。
しかし初勝利を挙げてからダービーまでのわずか3か月間での急成長は、本当に目を見張るものがありました。
また、その時に見せた鋭い末脚は、一流馬として誰に見せてお恥ずかしくないものでした。
その後秋のレースでは惨敗が続きますが、暮れの有馬記念で強豪馬を競り落として優勝したレースぶり、そしてまたしてもその後の低迷と山あり谷ありの競走馬人生を送ってきた馬だと思います。
結局古馬になってから復活することはありませんでしたが、3歳時のレースだけでも十分に競馬ファンの記憶に残っているのではないでしょうか。
記録よりも記憶に残る名馬として、シルクジャスティスの名前を忘れることはありません。
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