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競馬ーギャンブル=ロマン

名馬列伝 第2回 「ナリタブライアン」

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○基本情報
 父 ブライアンズタイム
 母 パシフィカス
  母父 Northern Dancer
 
 馬主   山路秀則
 調教師  大久保正
 主戦騎手 南井克己・武豊

 通算成績 21戦12勝 [12-3-1-5]
 主な勝鞍 朝日杯
      皐月賞
      日本ダービー
      菊花賞
      有馬記念
 受賞歴  JRA賞最優秀2歳牡馬
      JRA賞年度代表馬
      JRA賞最優秀3歳牡馬
      JRA顕彰馬選出

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○概要
名馬列伝第2回はシャドーロールの怪物と呼ばれたナリタブライアン
自分を競馬に導いてくれた馬で、リアルタイムでしっかりと記憶に残っている一番古い競走馬です。
3歳の三冠から有馬記念までの圧倒的な強さと、その後の古馬になってからは怪我による低迷。
ローテーションや体調等色々な面でも物議を醸した馬でしたか、全盛期の強さは歴史に残る最強馬の1頭に数えられるに相応しいものでした。

○戦績
デビューは2歳の夏の函館の1200m。今でこそ夏にデビューする有力馬も多いですが、当時の夏の2歳戦は短距離しかなく有力馬は秋以降にデビューするのが当たり前でした。
そんな中ナリタブライアンは夏にデビューし、新馬戦は2着、その後折り返しの新馬戦で(当時は同開催の新馬戦には複数出走出来ました)勝ち上がり、勝ち負けを繰り返し秋の京都2歳Sでをレコードで重賞初勝利、1番人気で朝日杯に望みます。
朝日杯では1番人気に答え危なげなく勝利して、翌年のクラシックの最有力候補に浮上します。
迎えた3歳の初戦は共同通信杯、ダービーに向けて東京競馬場を経験させるための出走でしたが難なく勝利。次走の皐月賞トライアルのスプリングSも問題にせず、皐月賞を前に既に三冠間違い無しと言われてました。
迎えた皐月賞ではこれといった対抗馬もいない中圧倒的な1番人気。
レースはハイペースの中ナリタブライアンは先行馬のすぐ後ろから直線入ってところで先頭に並びかけるレースぶり。そのまま後続を突き放し先頭でゴール。
3歳春の時点でコースレコードを叩き出す圧勝となりました。
3歳のナンバーワンを決めるダービーも、もはやナリタブライアンにとっては通過点でしかありませんでした。皐月賞組とは勝負付けが済んでおり、別路線からナムラコクオーエアダブリンといった未対決の参戦もありましたがやはりナリタブライアンの敵ではありませんでした。
レースの方は外枠からスタートしたナリタブライアンは中断外目を進みましたが、待ちきれんばかりの手応えで捲っていき直線入る頃には不利を受けない大外へ、楽に先頭に並びかけその後のぐんぐん加速して当たり前と言わんばかりの走りで1着でゴールし日本ダービーを制します。
この時点ですでに同じ3歳には敵がいないため、興味は兄で古馬となって天皇賞春を完勝したビワハヤヒデとの兄弟対決に向いていきました。
三冠の菊花賞を目指したナリタブライアンですが、夏場に体調を崩した影響かトライアルの京都新聞杯ではスターマンに足元を救われ、3歳時で唯一の敗退となります。
しかし本番に向けて体調も立て直しいつも通りの断トツの1番人気でレースに向かいます。
菊花賞ではダービーのメンバーにトライアルを連勝し前走でナリタブライアンに土を付けたスターマンが加わった顔ぶれでしたが、全くものともせずに稍重ながらレースレコード、2着に7馬身差の今までで1番の圧勝となりました。
三冠全てを完勝で飾ったのですが、負かした相手がエアダブリンヤシマソブリンといった後にG1に届かなかったメンバー(世代としてはサクラローレルも今したが本格化する前でした)なので、ライバル不在というのが少し残件ではありました。
そして、世代を越えたライバルになるべきでした兄のビワハヤヒデやそのライバルのダービー馬ウイニングチケットも故障で引退していた為、世代ナンバーワンから現役ナンバーワンをかけた次の有馬記念もライバル不在で圧倒的1番人気で圧勝します。
ツインターボの大逃げや同世代の最強牝馬ヒシアマゾンの意地など見所もありましたが、ナリタブライアンの強さはここでも変わらず。
4コーナーで先頭に並びかけてそこから独走するいつもの横綱相撲で、初の古馬との対戦もあっさりクリアします。
しかし、残念なことにこの有馬記念が強いナリタブライアンとして最後のレースとなってしまいました。
古馬になってからより一層の活躍を期待されましたが、ここから先は怪我や体調不良、ローテーションや鞍上問題といったレース以外の部分で話題となることが多くなってしまいます。
古馬になって最初のレースは天皇春のトライアルとして阪神大賞典になりました。
レースは問題なく圧勝しましたが、その後本番に向けた調教中に右股関節炎を発症し天皇賞を回避します。
この怪我がナリタブライアンの負の連鎖の始まりとなってしまいました。
怪我によって春競馬は休み秋に備えましたが、怪我が完治した後も中々体調が戻らず、不安を抱えたまま秋競馬に向かいます。
また体調とは別の問題もあり、主戦騎手の南井騎手が落馬負傷中の為、復帰戦となった秋の天皇賞には的場騎手で臨むことになりました。
これも武豊騎手や松永幹夫騎手といった候補の名前が出たあとにギリギリで決まった話でしたので、部外者の自分に真相はわかりませんが紆余曲折あったのだと思います。
そして迎えた秋の天皇賞ですが、追い切りの内容も今一つの体調、乗り変わりにさらに長期休養明けといった多くの問題もありましたが、それでもファンは1番人気に指示します。
しかしそこに前年までの強いナリタブライアンはもういませんでした。
レースは全く見せ場を作れずに敗退。
体調が戻っていないのにレースを使い、名馬に傷を付けたと陣営にはかなりの批判が当時はあったと記憶してます。
しかし個人的な意見ですが、過去の戦績をみても叩き良化型で間違いのないナリタブライアンにとって、京都大賞典に間に合わなかった以上秋の天皇賞を叩き台とするのは仕方ないと思います(アルゼンチン共和国杯がありますがハンデ戦のため実質出走不可能でした)。
これは今でもそうなのですが秋競馬は天皇賞のトライアルを過ぎるとジャパンカップ有馬記念に向けたトライアルレースが失くなってしまうのは問題だと思います(話はずれますが宝塚記念も同じですね)。
その後ジャパンカップ有馬記念は鞍上を武豊に変更して望みましたが敗退し、競走馬にとって全盛期と言われる4歳を不本意な形で終えることになります。
迎えた5歳になり初戦は前年と同様に阪神大賞典になりました。
昨年の有馬記念で完敗した1つ下の世代の代表馬マヤノトップガンとの再戦になり、競馬ファンにはお馴染みの名勝負となりました。
1番人気はマヤノトップガンに譲りましたが、それでも復活を期待するファンは多く僅差の2番人気でレースを迎えます。
レースは先行しているトップガンとをナリタブライアンがみる形で進み、3コーナーからこの2頭が仕掛け、直線入る頃には完全にマッチレースになります。
そこから一進一退の攻防が続き、最後ナリタブライアンが頭だけでたところがゴールでした。
3着はそこから9馬身も後方で、自分も含め競馬ファンを虜にした世紀のマッチレースとして今でも語られています。
しかし、自分の中では全盛期のナリタブライアンだったら、もっと突き放していたんじゃないかと思わずにはいられない気持ちがありました。
阪神大賞典で復活を果たして次に向かった天皇賞では再度トップガンとのマッチレースが期待されましたが、トップガンがまさかの凡走(この先を考えるとまさかではないのですが、、、)ナリタブライアンは力は見せますが、この時はまだ伏兵だったサクラローレルに完敗、2着で終わります。
しかしこの春の長距離2戦については、以前の圧倒的な強さこそ見せられませんでしたが、完全復活を期待させる内容ではあったと思います。
しかしこの後に予想だにしない出来事がおこります。ナリタブライアン高松宮杯に出走。
まさかの3200mの長距離戦からから1200mのスプリント戦へ出走です。当時は大きな批判と、一部ではナリタブライアンだったら通用するかもといった声があがってましたが、結果的には失敗に終わります。
期待込みの2番人気ではありましたが慣れないスプリント戦で前半ついていくことができす、直線で追い上げはしたものの4着まで。
レース事態は失敗とまではいえないものの、これがラストレースとなってしまいました。
このレースが直接の原因かどうかはわかりませんが、高松宮杯の1ヶ月後に屈腱炎を発症し引退。結局再び圧倒的に強いナリタブライアンを見ることなく現役を終えてしまいました。

○引退後
圧倒的な強さを見せたナリタブライアンは、種牡馬とした当時の内国産馬としては最高の20億を越えるシンジケートが組まれました。
繁殖牝馬も一流の馬が選ばれ当時外国産種牡馬全盛期のなか高い期待をもたれていたのですが、僅か2世代を残したのみで残念ながらその生涯を終えてしまいました。
産駒からは重賞等の勝ち馬は出すことができず後継種牡馬も残すこともなくその血を将来へ繋ぐことはできませんでした。

○感想
夏の短距離戦でデビューし、朝日杯の時点ですでに7線目。後の三冠馬とは思えないような使われ方をした2歳時代、体調や怪我、ローテーションの問題がレースより大きく取り上げられた古馬の時代。
結局超一流馬としての実績は朝日杯から3歳の有馬記念までのとても短い期間でした。
しかしその間に見せた圧倒的な強さは、鮮明に心に残ってます。
そして、マヤノトップガンとのマッチレースやビワハヤヒデとの対決が叶わなかった事など、とてもドラマチックな競走馬でもありました。
圧倒的な強さとどこか脆さが混じっており、自分は雑草魂を感じる最強の競走馬、そして自分に競馬の魅力を教えてくれた忘れることのできない最強馬の1頭だと思います。

○リンク

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