UMA-YUME ブログ

競馬ーギャンブル=ロマン

はじめに

はじめまして。

ギャンブルはしないが競馬が好きなUMA-YUME です。

競馬にロマンを感じ、純粋なレースとして観戦して30年弱。

過去のレースや名馬について当時を思い出しながら簡単に紹介させて頂きます。

昔の記憶を元に、改めて動画や様々な資料を見ながら個人的な思いで記事に残します。

「懐かしい」「そんなこともあったな」といった軽い気持ちで読んで頂ければ幸いです。

名馬列伝 第4回 「シルクジャスティス」

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○基本情報
 父 ブライアンズタイム
 母 ユーワメルド
  母父 サティンゴ
 
 馬主   シルク
 調教師  大久保正
 主戦騎手 藤田伸二

 通算成績 27戦5勝 [5-3-3-16]
 主な勝鞍 有馬記念

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○概要
名馬列伝第4回は3歳で有馬記念を制したシルクジャスティスです。
藤田伸二騎手とのコンビでターフを湧かし、記録より記憶に残る馬の代表格ではないでしょうか。
先日残念ながら老衰のため亡くなってしまいましたが、充実の3歳時からその後活躍を期待されるも低迷した古馬での成績。
しかし、いつかは復活する時が来ると信じ、その姿を追い続けたのは懐かしい思い出です。

○戦績
シルクジャスティスのデビューは2歳の10月で、レースは後の戦績からは考えられない芝の1200m戦でした。
人気こそ当時の有力種牡馬であるブライアンズタイム産駒でしたので3番人気となっておりましたが、レースはまったく良いところがなく惨敗でした。
それからダートの1200mの未勝利戦を2戦しますがこちらも共に惨敗、未勝利のまま2歳を終えます。
大久保正調教師はレースで馬を育てると言われていましたが、いくらなんでもシルクジャスティスの1200m戦は結果論にはなりますが全く距離適性があっていない判断であったと思います。

年が明けて3歳になったシルクジャスティスは、距離を延ばすことを選択しダートの1800mの未勝利戦の望みそこで5着と入選します。
1200戦では全く勝負になっていなかったのですが、1800mに距離が伸びてシルクジャスティスの持ち味が多少出てきました。
その後1800mのダートの未勝利戦ではを2着・3着と着実に結果を残し、迎えた3月の1800mダートの未勝利戦で1着となりデビューから7戦目にして待望の初勝利を上げました。
しかし、ここまでの戦績は決して一流馬のそれではなく、この時点でダービーの出走はおろか暮れの有馬記念を勝つと予想した人はまずいなかったのではないでしょうか。
そしてシルクジャスティスが次に向かったのが、今までの戦績からは無謀と言わざるを得ない格上挑戦となる皐月賞への最終搭乗便のG3毎日杯でした。
デビュー戦こそ芝でしたがその後はダートのみを走っており、前走ようやく未勝利戦を勝ったばかりのシルクジャスティスは当然のごとく14頭中の12番人気と低評価での出走になりました。
しかし、このレースでシルクジャスティスは誰もが予想だにしなかった好走を見せることとなります。
スタートして久しぶりの芝のレースに戸惑ったのか馬群についていくことができず最後方からのレースになったシルクジャスティスですが、4コーナーから徐々に押し上げ更には直線でも鋭い伸び足をみせます。
最後は突き抜ける勢いではありましたが先頭にはわずかに届かず、1/2,3/4 という僅差の3着でゴール、低評価を覆す走りを見せてくれました。
このレースで何かきっかけをつかんだのか、ここからシルクジャスティスの走りは激変していきます。

シルクジャスティスが次のレースに選んだのは、当時は皐月賞と同じ週におこなわれていたOP特別の芝草Sでした。
このレースは皐月賞に出走できなかった馬が集まるレースで、今ですと牝馬忘れな草賞の牡馬バージョンの位置づけのレースです。
人気も前走のレースぶりから2番人気に支持され、遅ればせながらシルクジャスティスのダービーに向けた戦いが始まります。
スタートして前走と同様に最後方からのレースになりましたが、前走のついていけなかった感はなく鞍上の武豊騎手があえて後方に待機しているように見えました。
そして直線に入り前走と同様鋭い足で追い込み全頭をごぼう抜き、最後は2着馬に1・3/4 馬身差をつけてゴールし前走の激走がフロックでないことを証明しました。
この時点で晴れてオープン馬になったシルクジャスティスでしたが、500下のレースを勝っていないためダービーの出走は賞金的に微妙な状況でした。
そこでダービー出走と重賞初勝利をかけて、ダービーへの最終搭乗便であり関西の秘密兵器を数々誕生させてきた、G3の毎日放送京都4歳特別(現在の京都新聞杯と同じ位置づけです)に出走します。
ここでシルクジャスティスは生涯の相棒となる藤田伸二騎手と出会うことになります。
藤田伸二騎手は未勝利戦では何度か鞍上を務めていたので初めての出会いではありませんが、ここから先は現役引退するまでの全レースで騎乗することになります。
そして鞍上だけでなく、シルクジャスティスのレースぶりもさらに進化していきます。
今まで通り最後方からのレースにはなりましたが、今回は3コーナーから上がっていき直線入る頃には好位に取り付き、そこからさらに二の足を伸ばしてグングン加速して2着に1/2馬身差の1着でゴール、3着はそこから7馬身離れていました。
このレースの結果、末脚が鋭く東京競馬場との相性も良いと考えられ、西の秘密兵器ではなく有力馬の一頭としてシルクジャスティスは3歳馬の頂点を決めるダービーに駒を進めることとなります。

この年のクラシック路線ですが、春先まではメジロブライトが有力馬として挙げられていましたが、スプリングステークス皐月賞で敗退、その皐月賞では伏兵のサニーブライアンが勝利したこともあり、ダービーでは本命と呼ばれる馬が不在でした。
その為、シルクジャスティスはダービーへの王道ローテーションの皐月賞でもダービートライアルでもなく、別路線からの出走であったにも関わらず当時としては珍しい高評価となる3番人気としてダービーに挑みます。

一番人気はそれでもメジロブライトで、2番人気は武豊人気もあってか弥生賞を勝利していたランニングゲイル、4番人気は当時はまだ未知数であった新星のサイレンススズカ、そして人気の一頭となるはずであった皐月賞の2着馬シルクライトニングは怪我により発送除外となり、さつき賞馬のサニーブライアンは6番人気での出走でした。
レースはスタートして皐月賞馬のサニーブライアンが大外からゆっくりと先頭を伺い宣言通りの逃げに出ます。
シルクジャスティスはいつも通りの後方からの競馬で、その少し前にいるメジロブライトを見ながらの競馬となりました。
レースも進み直線に入りシルクジャスティスメジロブライトと共に追い上げに入りますが、中々先頭を行くサニーブライアンとの差が縮まっていきません。
皐月賞はフロックと思われていたサニーブライアンですが、このレースでも力強い逃げで後続馬との差を保ったままゴールに向かっていきます。
メジロブライトと共に最後まで外から追い上げたシルクジャスティスでしたが最後は一馬身及ばずの2着、そこから半馬身差の3着でにメジロブライトが入りました。
伏兵と思われていたサニーブライアンの逃げを軽視したわけではないと思いますが、結果的に有力馬のメジロブライトを目標としてけん制しあったたようなレースとなり、メジロブライトこそ交わすことはできましたがもう一頭前のサニーブライアンには届かず惜しい2着でダービーを終えます。

しかし後方から見せたこの鋭い末脚は褪せることはなく、2着に敗れてはしまったものの今後のレースに期待を抱かすものでした。
ですが中々予想通りに事が運ばないのが競馬です。
前年の10月のデビューから休むことなく使い続けダービーまでの約8か月間で11レースというハードなローテーションの疲れをを少しでもいやすため、ダービー後は秋の雪辱に備えて休養に入ったシルクジャスティスでしたが、秋競馬ではその期待に中々答えることができまえんでした。

迎えた秋初戦の菊花賞トライアルの神戸新聞杯では最後方から捲っていき直線に入った所まではよかったですがそこから全く伸びることなく8着に惨敗します。
次に選択したのは菊花賞トライアルではなく古馬との戦いとなる京都大賞典でしたが、ここでは最後方から直線の競馬で優勝し前走の敗退を払拭しますが、迎えた本番の菊花賞ではまた惨敗してしまいます。

春の二冠馬のサニーブライアンは故障により回避となりましたが、代わりに菊花賞トライアルの神戸新聞杯京都新聞杯を連勝してきたマチカネフクキタルが台頭し、春からのライバルであるメジロブライトと3頭が人気となってレースを迎えます。
レースでは菊花賞特有のスローペースで直線の瞬発力勝負となり、優勝した好位から瞬発力に勝るマチカネフクキタルで、シルクジャスティスも後方からいつも通り追い込みはしますが5着まで上がるのが精いっぱい、不完全燃焼のレースとなりました。

春と同様にレースに使って強くなると考えられていたシルクジャスティスは、次のレースとしてジャパンカップが選択されます。
好走したダービーと同条件で直線の長い東京競馬場であれば3歳であっても十分通用すると思われ、差のない4番人気でレースに向かいます。
古馬からは天皇賞秋で争ったエアグルーブとバブルガムフェロー、海外からは強豪のピルサドスキーが相手となりましたが、ここでも菊花賞と同様に後方から追い上げるも前に届かずに5着に敗退。
優勝したのはピルサドスキーで、2着3着にエアグルーブとバブルガムフェロー、3歳馬としては差のない5着でしたので善戦と呼んでも良いのかもしれませんが、ダービーでのレースと比べてしまうとどこか不完全燃焼のようなレースにも見えてしまいました。

そしてこの年の最後のレースとして迎えたのが有馬記念になりますが、ここでシルクジャスティスは秋競馬の鬱憤を払うような激走を見せてくれます。
不振というには少し気の毒な気もしますが、期待に応えることができないレースが続いていたシルクジャスティスはこの年最後のG1レースを優勝で飾り晴れてG1馬の仲間入りを果たします。
レースにはこの年の宝塚記念を優勝しその後故障でレースから遠ざかり休み明けでの出走となったマーベラスサンデーが一番人気、ジャパンカップでも戦ったエアグルーブが二番人気、シルクジャスティスと同じく世代の3歳最強牝馬である未知の魅力があったメジロドーベルが三番人気、シルクジャスティスが4番人気として出走します。
人気馬の一角とはなっていたシルクジャスティスですが、直線の短い中山では脚質的に合わないのではないかという見方もあり、上位3頭とは若干離れた4番人気の評価になっていました。
レースが始まりシルクジャスティスはいつもと同じように後方に待機、そのすぐ前にマーベラスサンデーとその前にメジロドーベル、エアグルーブは好位からの競馬となりました。
3コーナーの手前で逃げていたカネツクロスが早々に力尽き後退していったのをはじまりに徐々に後続の追い上げが進みます。
マーベラスサンデーが3コーナーあたりから外から捲って上がっていったのを尻目に、シルクジャスティスも追い上げを開始、馬群の中に入り込み徐々にポジションを上げていきます。
直線に入ってからは早々に好位から進んでいたエアグルーブが先頭に立ち、そこに外からマーベラスサンデーが襲い掛かります。
シルクジャスティスはその少し後ろの馬群の中から前を走るその2頭を追い上げ徐々に徐々に差を縮めていきます。
エアグルーブとマーベラスサンデーの2頭が激しいたたき合いを繰り広げ、坂を駆け上がった直後にマーベラスサンデーがエアグルーブをとうとう競り落としゴールまであと少しと思った矢先、シルクジャスティスが外から猛追します。
そしてシルクジャスティスが勢いそのままに2頭をゴール直前で交わしたところがゴール。
2着マーベラスサンデーと3着エアグルーブとは頭・首差の接戦をものにし、シルクジャスティスが晴れて暮れのグランプリを制しG1馬の仲間入りをすることになりました。
シルクジャスティスの鞍上を務めていた藤田伸二騎手は常にシルクジャスティスが一番強いと発言し、馬の力を信じていましたがそれがとうとう実を結ぶ結果となりました。

有馬記念を優勝したことにより3歳馬でグランプリホースとなったシルクジャスティス古馬での活躍も期待されましたが、残念ながらこのレースが最後の勝利となりました。

4歳となり古馬の王道路線として天皇賞春を目指したシルクジャスティスは、年明けの初戦として阪神大賞典に出走しメジロブライトの2着と好走します。
レースを使って強くなるシルクジャスティスにとって休み明けとしては上々の結果で、しかも今までの後方からの競馬とは違い好位からのレースを試みて展開に左右されない脚質に新たな可能性も示してくれました。

しかし期待された本番の天皇賞春では阪神大賞典と同様に好位からの競馬をこないますが、そのまま伸びきることができず4着に惨敗。
スローペースの瞬発力勝負で力を発揮することができず、ライバルであるメジロブライトがG1初制覇となる結果になりました。
このレースは前年の菊花賞と同様に長く良い足を使うシルクジャスティスにとって苦手とする瞬発力勝負となってしまったため、展開に恵まれなかった部分もあったと思われまだまだ今後の期待は薄らいではいませんでした。

しかしそんな思いも徐々に徐々に崩れていきます。
次走の宝塚記念では同世代で古馬になり本格化したサイレンススズカのの前にいいところなく6着に惨敗、期待された古馬の春シーズンを結果を出すことなく終えてしまいます。

春シーズンの惨敗からの復活を目指した秋は初戦の京都大賞典でこそ3着と今後に休み明けとしては悪くない結果を残しますが、その後のG1では再び期待を裏切ることになります。
サイレンススズカのレース中の故障が話題となった天皇賞秋は8着、ジャパンカップは一つ下の最強世代と呼ばれた3歳馬のエルコンドルパサーの前に8着、そして前年の覇者として臨んだ暮れのグランプリレース有馬記念でも最強世代のグラスワンダーの前に7着と全く良いところなく惨敗のレースが続きます。
特に一世代下の3歳世代は後に最強世代とも呼ばれるように強豪馬が揃っていたため、世代交代を印象付ける結果にもなりました。

翌年も復活を信じて現役を続けたシルクジャスティスでしたが、G2の日経新春杯阪神大賞典をともに3番人気ながら6着と4着に敗退、続く天皇賞春では一つ下の最強世代のダービー馬スペシャルウィークの前に4着に敗退します。
天皇賞春では最後の直線で追い上げてきて一瞬復活の兆しが見えたかとも思いましたが、その後故障してしまい、一年後の金鯱賞で復帰するも最下位での敗退となり、復活した姿を見ることなくここに現役制覇を終えることとなります。

○引退後
引退後はG1馬として、また当時サンデーサイレンスと共に活躍していたブライアンズタイムの後継として種牡馬となりますが、3歳時の有馬記念以降の競馬でのレースぶりからか繁殖牝馬にも恵まれず、産駒からは平地の重賞の勝馬は現れることなく約10年ほどで種牡馬も引退しました。
種牡馬引退後に中山大障害を勝つ産駒が現れますが、これが唯一の勲章となりました。
その後新ひだか町の畠山牧場で余生を過ごしていましたが、つい先日の2019年の6月に老衰のためその生涯を閉じました。

○感想
中々初勝利を挙げることのできなかった2歳から3歳にかけてのレースからは、とてもその後に有馬記念を勝利する馬になるとは予想できなかったと思います。
しかし初勝利を挙げてからダービーまでのわずか3か月間での急成長は、本当に目を見張るものがありました。
また、その時に見せた鋭い末脚は、一流馬として誰に見せてお恥ずかしくないものでした。
その後秋のレースでは惨敗が続きますが、暮れの有馬記念で強豪馬を競り落として優勝したレースぶり、そしてまたしてもその後の低迷と山あり谷ありの競走馬人生を送ってきた馬だと思います。
結局古馬になってから復活することはありませんでしたが、3歳時のレースだけでも十分に競馬ファンの記憶に残っているのではないでしょうか。
記録よりも記憶に残る名馬として、シルクジャスティスの名前を忘れることはありません。

○リンク

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名レース列伝 第9回 「第44回宝塚記念(2003年)」

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○基本情報
 日時  2003年6月29日
 競馬場 3回阪神4日目
 距離  芝右2200m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 ヒシミラクル
     2着 ツルマルボーイ
     3着 タップダンスシチー

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○背景

第9回目の名レース列伝は第44回の宝塚記念です。
前回の安田記念と同じ年の宝塚記念は、ローテーションの穴場となってしまった宝塚記念としては異例の高メンバーの揃ったレースでした。
前年の3歳時に天皇賞秋と有馬記念を勝ったシンボリクリスエスを筆頭に、この年のダービー馬を優勝し3歳馬の身で挑戦してきたネオユニヴァース、前走の安田記念を快勝しこの時点でG1を6勝していたアグネスデジタルという強豪馬2頭。
そして伏兵としても前年の有馬記念を2着しその後オープン特別とと前哨戦のG2金鯱賞を連勝してきたタップダンスシチーに、この年の阪神大賞典を前走の天皇賞では僅差の3着であったダイタクバートラム、前年の宝塚記念の優勝馬ダンツフレームとそのレースで2着馬で善戦マンのツルマルボーイ等多種多様なメンバーが揃いました。
そんな中、本来であればこれらのメンバーを迎え撃つ立場として考えられてもおかしくなかったのが、前年の菊花賞馬にして前走の天皇賞春でG1の2勝目を上げ古馬の王道を行くヒシミラクルでした。
G1での成績だけ見ると同世代の代表としてシンボリクリスエスと双璧をなしてしかるべしと言ったところなのですが、菊花賞は10番人気の伏兵としての勝利でその後の有馬記念は11着、阪神大賞典は12着、産経大阪杯は7着と惨敗、そして前走の天皇賞春で再び7番人気の伏兵での勝利であったため、長距離専門の一発屋として見られていました。
人気もシンボリクリスエスが1番人気の中6番人気という低評価での出走となりました。
また、このレースはジョッキーも当時のリーディングに上位のジョッキーが勢ぞろいし、さらに短期免許として来日中のデザーモにミルコデムーロ騎手も参戦して、レースの盛り上げに一役買っていました。

○レース

まずレースで注目されたのが、一番人気のゼンノロブロイと二番人気のネオユニヴァースの出方になります。
ゼンノロブロイは前年の有馬記念以来の休み明けで仕上がっているのか、ネオユニヴァースは3歳馬として最大の目標であったダービーからの参戦で疲れが残っていないか、という両馬には全く反対の不安要素がありました。
レースが始まってまず先手を取ったのがマイソールサウンドで、ゼンノロブロイは中段の8番手を、その少し前の6~7番手にアグネスデジタルタップダンスシチーが、ネオユニヴァースツルマルボーイと共に後方2~3番手を追走、そしてヒシミラクルは中段の後方の11~12番手あたりを進みます。
概ね有力馬は想定通りの位置取りとなり、不利もなく体制も変わることなく淡々とレースが進んでいきます。
そんな中向こう正面を通過し3コーナーあたりでまず早めに動いたのが好位にいたタップダンスシチーでした。
決して遅いペースではありませんでしたが得意の息の長い足を生かすため、早めに仕掛け外から捲っていき4コーナーから直線に入るあたりで先頭を伺いそのまま押切にかかります。
そして、それとほぼ同じタイミングほぼ同じ位置の内側にいたシンボリクリスエスも徐々に進出していきます。
コーナーワークの差を生かし、インコースをするすると上がっていき直線に入ってまず先頭に躍り出ます。
後方勢からはヒシミラクルが普段の捲るところまではいきませんがコーナーで徐々に進出し外に出して前を向く馬を追いかけ、そのすぐ後ろからネオユニヴァースヒシミラクルを追いかけるように上がっていき、更にその後ろからはツルマルボーイも大外に進路を取って直線にかけます。
一方人気の一角であったアグネスデジタルですが、速い流れの持久力が問われるレースになった為か直線に入る前には力尽き後方に沈みます。。
直線に入って先頭に躍り出たシンボリクリスエスですが、そのまま力強い足取りで後続を突き放しにかかっていきます。
懸命にタップダンスシチーが追いかけますが、その差は中々縮まることはなくこのまま押し切るかに思われましたがラスト1ハロンを過ぎあと少しといったところで休み明けの影響かシンボリクリスエスの足が止まってしまいます。
それを外からタップダンスシチーが懸命に追いかけていたところを外から後続勢が襲い掛かります。
外からじわりじわりと差を縮めて伸びてきたヒシミラクルに、それを追いかけるネオユニヴァース、直線にすべてをかけ大外から飛んできたツルマルボーイの3頭が先頭の2頭を追いかけます。
3頭の中でまずネオユニヴァースの足が止まり脱落し、ヒシミラクルが懸命に前を追いかけタップダンスシチーシンボリクリスエスを必死に交わし先頭に躍り出ます。
そしてそれを追うように大外からツルマルボーイヒシミラクルに襲い掛かりあと一歩のところまで追い詰めましたが、首差ヒシミラクルがしのぎ切ったところがゴールでした。
1着にヒシミラクル、2着にツルマルボーイ、3着にタップダンスシチーで、ネオユニヴァースが4着で最後交わされていったシンボリクリスエスは結局5着となりました。
長距離専門の一発屋的な扱いであったヒシミラクルですが、このレースで競合馬相手に中距離G1を勝利し、そして古馬王道のG1を2連勝を達成し春競馬を締めくくりました。

○感想

当時の最高クラスで、マイルの王者や3歳馬まで幅広いメンバーの揃った宝塚記念ですが、結局勝利したのは古馬G1の王道を進み力馬の中では一番の人気薄のヒシミラクルでした。
過去の長距離G1はともに人気薄での勝利だったため一発屋的な扱いであったヒシミラクルですが、今回は競合馬が相手の中でしっかりとした足取りで優勝しました。
もちろんペースもハイペースの持久力勝負となりヒシミラクルに向いた流れとなったところも否めませんが、それでもこの距離を力でねじ伏せたレースぶりは秋競馬にも期待を抱かせるものでした。
しかしながらこの年の秋に故障してしまい、その後復帰するも再び勝利することはなくこの宝塚記念が最後の勝利となったヒシミラクルですが、このレースの勝利は色あせるものではありません。
一方最後踏ん張りの利かなかったシンボリクリスエスですが、こちらは休み明けの影響がもろに出た形であったのではないでしょうか。
外厩の発達の著しい近年は休み明けからの好走も当たり前となっていますが、当時はまだまだ前哨戦を使う馬が当たり前で休み明けは不利と思われていました。
所属厩舎の藤沢厩舎は馬優先主義として、一般の厩舎よりレースの数を使わないことで有名ですが、今回のレースに限っては完全に裏目に出てしまったと思います。
また、この年の宝塚記念は本来の目指すべき宝塚記念の理想となる出走メンバーが揃っていたように思えます。
古馬の王道として天皇賞春の勝馬を含める古馬の強豪馬が多数出走し、3歳のダービー馬に安田記念勝馬まで多種多様なメンバーが揃ったことで春のグランプリに相応しい顔ぶれでした。
近年は競合馬はあまりレースの数を使わないケースも多く、距離体制も明確となり更に強豪オーナーによる使い分けも激しいため一つのG1に様々なジャンルのメンバーが揃うことが少なくなってしまいました。
しかし、未知の強豪との対戦がその馬の価値を上げてくれるものだと思いますので、今後も今回のようなメンバーでの宝塚記念を見てみたいものです。

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名馬列伝 第3回 「テイエムオペラオー」

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○基本情報
 父 オペラハウス
 母 ワンスウエド
  母父 Blushing Groom
 
 馬主   竹園正繼
 調教師  岩元市
 主戦騎手 和田竜二

 通算成績 26戦14勝 [14-6-3-3]
 主な勝鞍 皐月賞
      天皇賞春×2回
      宝塚記念
      天皇賞
      ジャパンカップ
      有馬記念      
 受賞歴  JRA賞最優秀3歳牡馬
      JRA賞最優秀4歳以上牡馬
      JRA賞年度代表馬
      JRA顕彰馬選出

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○概要
名馬列伝第3回は「世紀末覇王」として前代未聞の古馬中長距離完全制覇を果たしたテイエムオペラオーです。
サンデーサイレンス武豊騎手の全盛期に合って、良血とは呼べないオペラハウス産駒で当時はまだまだ実績のない若手ジョッキーの一人であった和田竜二騎手とのコンビで完全無欠の強さを誇りました。
特に世紀末の2000年には前哨戦含む8戦8勝、G1を5勝という離れ業を成し遂げました。
当時の世界賞金王の走りを振り返っていきたいと思います。

○戦績
テイエムオペラオーのデビューは2歳の8月の京都の芝マイル戦で、1番人気になっていたものの2着となり敗退。
その後骨折が見つかった為2歳の競馬は終了、復活するのは年明けの3歳となってからになりました。
年が明け1月、3歳となり故障も完治して迎える2戦目ですが故障の影響も考慮してかダート1400mの未勝利戦となりました。
生涯で最短の距離となったこのレースですが、故障明けや決して適距離とは言えない短距離としては悪くないまずまずの走りを見せ4着で終えます。
故障明け2戦目となったのはそこから1か月後、距離も伸ばしたダートの1800mの未勝利戦でしたがこちらを5馬身差で完勝し、今後の活躍に期待を持たせる内容となりました。
故障明けの試走を完了したオペラオーはそこから芝のレースに照準をあわせていき、次走は芝2000mの500万下のゆきやなぎ賞になりましたがこちらを接戦の上勝利します。
2勝目を上げたことによりいよいよクラシックを目指すこととなったオペラオーは、重賞初挑戦となる毎日杯に挑みます。
当時の毎日杯皐月賞のトライアルがすべて中山競馬場で行われていたため、西の秘密兵器の登場が期待され皐月賞への最終搭乗便とも言われていました。
骨折の為出世が少し遅れたオペラオーも皐月賞に向けた最終搭乗便に乗るべくレースに向かい、3番人気ではありましたが好位からあっさり抜け出して4馬身差の完勝をおさめ、見事皐月賞の切符を手に入れました。
そして骨折の為クラシックの一次登録をおこなっていなかったオペラオーでしたが、追加登録料を支払い西の秘密兵器としてクラシックの第一弾である皐月賞に向かいます。

初めての強敵との対戦となる皐月賞ですが、ここでオペラオーに立ちはだかるはアドマイヤベガナリタトップロードの2頭です。
父がサンデーサイレンスに母が名牝のベガという超一流血統に、騎手は武豊ジョッキーで馬主は当時勢いのあったアドマイヤ軍団であるアドマイヤベガ
父親が現役時代に人気があったサッカーボーイの代表産駒にして、前走でアドマイヤベガに勝利し重賞を連勝中のナリタトップロード
この年のクラシックを彩る3強が初めて集まったレースでしたが、アドマイヤベガが1番人気トップロードが2番人気の2強を形成し、オペラオーは離れて5番人気でレースを迎えます。
レースは後方待機となったオペラオーに、その少し前にアドマイヤベガ、さらに前にトップロードの形となっていましたが、3コーナーから4コーナーにかけて3頭が重なるように外から上がっていき直線を迎えます。
3頭の中ではまずアドマイヤベガが良馬場ではあったが雨が降った為足を取られたのか思いのほか伸びることがなく脱落します。
そして馬場の真ん中からトップロードが徐々に差を詰めていきますが、内側から抜け出した伏兵オースミブライトをとらえるところまでいたりません。
そして最後に大外から追い上げたオペラオーがグングン内側の馬を交わしていき、最後まで粘るオースミブライトを首差交わしたところがゴールで見事皐月賞を制しました。
しかしこのレースは前述の通り良馬場ではありましたが雨の為馬場が悪くなり、ダートでも勝利していて重馬場に強いと言われていたオペラオーに馬場が味方したともいわれていました。

次走はもちろん3歳馬の頂点を決める日本ダービーで、このレースで本当の意味での3強になりました。
1番人気と2番人気は前走と変わらずアドマイヤベガとトップロードに譲りましたが、オペラオーもほとんど差のない3番人気となり、前走の西の秘密兵器から完全な3強の一角として、また唯一の2冠馬を目指してレースに挑みます。
しかしこのレースは完全に騎手の腕の差といって良い内容のレースとなりました。
当時21歳の若手ジョッキーにして最年少ダービージョッキを目指していたオペラオーの和田竜二騎手、トップロードとのコンビが初重賞勝利であり実績に乏しい渡辺薫彦騎手、そして当時全盛期にして前年にスペシャルウィークでダービーを制覇しダービージョッキーとして臨んだ武豊騎手。
2人の若手ジョッキーに対して武豊騎手が高い壁となって立ちはだかります。
レースがスタートして3頭の位置取りですが、今回はオペラオーが一番前のほぼ中段でそれを外から見るようにトップロードがつけ、少し離れた後方のインコースからじっくりアドマイヤベガが構えます。
3コーナーから4コーナーにかけはやめにオペラオーが動き好位に取り付いて直線に向かい、それを追いかけるようにトップロードも進みます。
一方後方の内側にいたアドマイヤベガですが、いつの間にかインコースから大外に持ち出し、最短コースでトップロードのすぐ外につけていました。
まず抜け出したオペラオーでしたが、ラスト200mくらいで足が止まってしまいトップロードにかわされます。
そしてそのまま粘りこもうとするトップロードでしたが外から図っていたかのようにアドマイヤベガが襲い掛かり、首差だけ交わしたところがゴールになりオペラオーはトップロードから少し遅れた3着になりました。
このレースは馬の力はほぼ互角だった思いますが、武豊騎手の手綱さばきが差を分けたのではないかと思います。

惜しくもダービー制覇はかなわなかったオペラオーでしたが、秋の雪辱に期待されていましたがここから年内は苦戦が続くこととなります。
夏場を休養した秋初戦ですが菊花賞トライアルではなく古馬との対戦となる京都大賞典となりましたが、ここでは初の古馬相手に善戦し僅差の3着となり菊花賞に期待を持たせる内容となりました。
迎えた本番の菊花賞はダービーと同様に3強を結成し、今回はアドマイヤベガ、オペラオー、トップロードの順番の人気になりました。
レースは3強になかで唯一無冠であったトップロードでしたが、今回は積極的な競馬をおこないます。
今までと違い好位からトップロードが進み、オペラオーとアドマイヤベガは中断やや後ろからの競馬となりそのまま直線を迎えます。
好位から早め先頭で逃げ込みを図るトップロードを、オペラオーとアドマイヤベガが追いかけますがアドマイヤベガは距離のせいなのか延びあぐね、オペラオーが必死で追いかけるも首差届かずトップロードが粘りこんで優勝します。
このレースは3強として最後の1冠にかけていたトップロードと渡辺騎手の意地が最後首差に出たのではないかと思います。
こうしてクラシックは3強が1勝づつ分けある形で終了しました。

秋の2戦で勝ちきれなかったオペラオーでしたのでしたが、次走は確勝を目指しステイヤーズSに出走するも2着に敗退します。
3歳最後のレースとして有馬記念に出走し、最後の直線では一時先頭に見せ場を作りグラスワンダースペシャルウィークとタイム差なしの接戦となるも3着となり、オペラオーの三歳は終了しました。

迎えた古馬となる4歳ですが、この年のオペラオーは前代未聞の大記録を達成します。
4歳初戦として迎えた京都記念でトップロードを下し皐月賞以来の勝利をすると、これで勝ち方を思い出したのか天皇賞春の前哨戦である阪神大賞典でもトップロードとラスカルスズカを下して本命として天皇賞春に向かいます。
迎えた天皇賞春ではアドマイヤベガに代わり前走の阪神大賞典2着のラスカルスズカが3強の一角となり、オペラオー、トップロード、ラスカルスズカの順の人気となりました。
レースは菊花賞と同様に積極的な競馬を試みたトップロードが好位から進み、オペラオーは中断、ラスカルスズカは後方からの競馬となりますが、今回のレースは菊花賞と違いました。
早め先頭から粘りこみを図るトップロードに対して、オペラオーも早めに上がっていき直線に入る頃には並びかけ力でねじ伏せにかかります。
トップロードを交わして先頭に立ったオペラオーは後方から迫るラスカルスズカも3/4馬身しのいで優勝、皐月賞以来のG1を手にします。
着差こそ大きくはありませんが、自分から動いてしっかりと勝ち切るといった横綱相撲での勝利となり、オペラオーのこれからを予感させるようなれーすとなりました。

オペラオーが次走に選んだのは宝塚記念で、ここでは前年の有馬記念で敗れた一つ上の世代の怪物グラスワンダーとの対戦となりました。
グラスワンダーのほかにはトップロードこそ回避しましたが、引き続きラスカルスズカにこれから長い付き合いとなる盟友メイショウドトウステイゴールドが参戦しました。
レースの注目はオペラオーとグラスワンダーの頂上決戦でしたが、有馬記念では接戦だった2頭でしたがその後の2戦で惨敗し調子を崩していたグラスワンダーと、有馬記念後は3連勝して絶好調だったオペラオーとの差は歴然でした。
3コーナーから4コーナーにかけてオペラオーに並びかけるもそこから直線で伸びを欠いたグラスワンダーインコースをするすると上がっていく奇策を用いて直線早め先頭で押切りに入るも中段半ばで力尽きたラスカルスズカをよそに、オペラオーは最内から直線は外に持ち出し前を行くメイショウドトウを追いかけ、しっかり首差差し切ってゴールしました。
天皇賞と同様に差はわずかでしたが、完勝といえる内容でG1連勝を果たします。

秋になった初戦は前年3歳で挑戦した京都大賞典でしたが、ここでもオペラオーはナリタトップロードを相手に好位から頭差だけ競り勝ち接戦をものにします。
そして迎えた天皇賞秋ですが、このレースでは若干距離が短いのではないかと思われたのと外枠不利の東京の2000mで外枠に入ったせいか一番人気ではあったものの単勝2.4倍と若干人気を落としていました。
しかし相手となるのがトップロードにメイショウドトウステイゴールドといった春に下した馬たちであり、完成されたオペラオーの前には敵ではありませんでした。
先行していつもより危なげなく直線半ばではメイショウドトウを交わして先頭に立ち、そのまま2・1/2馬身突き放してゴール。
2着は宝塚記念と同様盟友メイショウドトウで、トップロードは5着に敗退。
一番人気が12連敗中という魔のレースとも呼ばれていた天皇賞秋でしたが、危なげなく勝利します。

同世代に敵がいなくなったオペラオーは、次のジャパンカップで1歳下の2冠馬のエアシャカール(ダービーが鼻差の2着なので準3冠馬とも言われてました)、オークス馬のシルクプリマドンナ、外国馬で鞍上が当時世界No1ジョッキーのデットーリを配したファンタスティックライト、そして盟友となったメイショウドトウと対戦します。
しかしここでもオペラオーの強さは別格でした。
天皇賞と比べるとやや後ろからとはなりましたが、いつもと同じように中段から進むオペラオーに対して、これまたいつも通り好位からの競馬となるメイショウドトウに、ファンタスティックライトエアシャカールは後方からオペラオーを見ながらのレースとなりました。
圧倒的人気のオペラオーはスローペースと周囲のプレッシャーもあり、中段の馬群の中で動きの取れない展開となります。
そして3コーナーから積極的に捲ってでたエアシャカールに場内は一瞬期待はするものの直線に入ってからは伸びをかき、周囲のプレッシャーから抜け出すのに少し時間がかかったオペラオーでしたが、前を行くメイショウドトウを馬場の真ん中から追い上げラスト100mで交わし、後ろからファンタスティックライトの追撃も振り切ってゴール。
2着メイショウドトウ、3着ファンタスティックライトとは首差、鼻差の接戦を制して古馬中長距離G1グランドスラムに王手をかけました。

グランドスラムをかけた有馬記念ですが、天皇賞秋とジャパンカップと比べてもこれといった有力な新星は現れず、再度メイショウドトウナリタトップロードが相手となりました。
しかし本当のこのレースの相手はこの2頭ではなく、グランドスラムに向けたオペラオー自身及び和田竜二騎手へのプレッシャーと、グランドスラムをさせまいとする百戦錬磨の周囲のベテランジョッキーでした。
出走前に顔を強打するというアクシデントがありましたが無事に出走を果たしたオペラオーは今まで通り中段からレースを進めようとしましたが、1週目の4コーナーあたりで前が詰まり体制を悪くして後方からの競馬となってしまいます。
レースは進みますが後方のオペラオーは動くことができず、前にも行けず外にも出せず完全に閉じ込められたままになります。
小回りで直線の短い中山競馬場で圧倒的不利となる後方で閉じ込められたまま後方の11番手で直線を迎えますが、直線に入っても前があかない中少しずつばらけてきた馬群の隙間を縫うように徐々に徐々に前に出ます。
そして隙間を縫って馬群を抜けようやく前があいたラスト100m、そこから猛然と前を追いかけメイショウドトウに鼻差競り勝ちゴール、見事グランドスラムを達成しました。
このレースでは今まで他の馬に付き合うようにレースをしてきたオペラオーが、初めて本気で走ることとなったレースとなったのではないかと思います。
これでこの年はG1を5勝を含む年間重賞8連勝という前代未聞の記録を達成したオペラオーは、見事万票で年度代表馬となりました。

年が明けて5歳となったオペラオーですが、国内に敵がいなくなったこと、レース内容や血統背景から凱旋門賞を目指してほしいとの声も多くありましたが、今と違いまだまだ海外に積極的でなかった背景もあってかまずは春は国内でのレースを選択します。
しかし、前年にグランドスラムを果たしたオペラオーにはもう一年同様の結果を出すことはできず、結果的に中途半端な成績となってしまいます。
年明けの初戦は前年の秋の激戦の影響や和田騎手の負傷の影響もあって、少し間をあけて当時はまだG2で天皇賞春の前哨戦であった産経大阪杯に出走しますが4着に敗退します。
これは休み明けのせいと距離も若干短かったのもあり前哨戦としてはまずまずの成績ではありましたが、オペラオーの前年の状態から若干不安を覚えました。

そして若干の不安を感じながら迎えた本番の天皇賞春でしたが、ここではまたいつものオペラオーの姿を見ることができました。
対するはいつものメンバーとなったメイショウドトウナリタトップロードエアシャカールといった面々でしたが、距離が長いのと頭数も12頭と少なくプレッシャーも少なかったためいつもどうり中段からしぶとく伸びてメイショウドトウに1/2馬身差をつけて1着でゴールします。
ちなみにこのレースでメイショウドトウも前年の宝塚記念からG1を5戦連続でオペラオーの2着になり、オペラオーがいなければ年をまたぎはしますが古馬G1完全制覇という記録です。
また、メイショウドトウは決して今までいたような善戦マンではなく、しっかりと前哨戦のG2戦等は勝利している実績馬でもありました。

本当に国内には敵がいなくなってしまったオペラオーでしたが、ついに競馬ファンの希望であった海外遠征について次走の宝塚記念次第では検討するとの声明がだされ自分も期待していましたがそう上手くことは運びませんでした。
海外に向けたレースとして迎えた宝塚記念についてですが、1年にわたり惜負を繰り返してきた盟友メイショウドトウとの着順が入れ替わることになります。
いつもどうりオペラオーにメイショウドトウエアシャカールが挑む形となった宝塚記念では、メイショウドトウが積極的なレースを見せます。
今までと同じように競り合っては勝てないと考えたのか、メイショウドトウ安田康彦騎手は好位からレースを進め4コーナーでは早めの先頭に立ちます。
今まで通り中段から進んだオペラオーでしたが4コーナーで馬群に包まれ不利があり、一瞬立ち遅れ後方に取り残されてしまいます。
そこから猛然と前を追いかけるオペラオーでしたが、いつもより早めに仕掛け差が開いていたメイショウドトウとは中々追いつくことができず、馬体を合わせることなく1・1/4馬身届かず2着となりました。
このレースでは積極的な競馬で早めに差を広げたメイショウドトウと、4コーナーで立ち遅れたオペラオーの両方が重なり逆転したのだと思います。
そしてメイショウドトウは1年にわたる惜敗の雪辱を晴らすこととなりました。

宝塚記念の結果からオペラオーの海外遠征はなくなり、秋も国内で走ることとなりました。
むかえた秋初戦の京都大賞典は危なげなく勝利しますが、これがオペラオー最後の勝利となりました。

続く天皇賞秋では3歳の強豪馬クロフネとの対戦が期待されていましたが、当時は外国産馬は2頭までの出走だったため当初はメイショウドトウクロフネが出走予定でしたが別路線のアグネスデジタルが出走したことによりクロフネは出走できず対戦となりませんでした。
しかし、そのアグネスデジタルの激走にオペラオーは2着に敗れます。
宝塚記念の教訓からかいつもより前の好位から進んだオペラオーでしたが、直線に入って逃げるメイショウドトウを交わして先頭に躍り出ますが、大外からアグネスデジタルの強襲に合い差し切られてしまいます。
前々から接戦には無類の強さを誇るオペラオーでしたが、負けるとすればいわゆる直線の切れ味勝負になり接戦に持ち込めないときだと思っていましたがこれが現実となります。
宝塚記念では不利もあっての2着でしたが、この天皇賞秋は展開の綾はあるかもしれませんが、純粋な勝負の中での2着となりました。

続くジャパンカップでも天皇賞と同様の結果になります。
今度は3歳のダービー馬ジャングルポケットの差し切られ2着になります。
前走と同じく好位から直線早めに先頭に並びかけてラスト200mで先頭に躍り出てゴールを目指しますが、最後ジャングルポケットにこれまた強襲され首差交わされたところがゴールでした。

秋のG1を2戦連続で2着であったオペラオーは最後の有馬記念での雪辱に挑みますが、すでに力を出し切ってしまったのか3歳の菊花賞マンハッタンカフェが優勝する中沈黙。
最後のレースとなった有馬記念では5着となり、現役生活を終えることになりました。

○引退後
4歳児に圧倒的な強さを見せたオペラオーですが、その強さとは裏腹に種牡馬としては活躍することができませんでした。
当初は社台での繋養も噂をされておりましたが、最終的には竹園オーナーの個人所有での種牡馬生活となりました。
また、血統背景もお世辞にも日本の馬場にあっているとも言えず、5歳の成績が悪く人気も落としてしまったため現役の競争成績から考えると有力牝馬はあまり集まらず、産駒も中央競馬ではほとんど活躍することはありませんでした。
そして、竹園オーナーのオペラオーの血統を残したいという思いは強く、竹園オーナーの所有馬でG1を3勝した名牝テイエムオーシャンに種付けしたりもしましたが成績は伴わず、平地の重賞の勝馬は出すことなく種牡馬生活を終え、2018年22歳でその生涯に幕を閉じました。
また、オペラオーが無くなった後の宝塚記念では、主戦の和田騎手がオペラオー以来となるG1を勝利し、オペラオーが後押ししてくれたのではないかと話題にもなりました。

○感想
古馬中長距離G1完全制覇という偉業を達成しながらもいまいち人気がなく地味な印象のオペラオー。
成績だけでみると歴代最強馬と呼ばれてもおかしくないのですが、オペラオーを歴代最強馬と考える人は少ないのではないでしょうか。
これは当時サンデーサイレンス全盛期の中でマイナーな血統背景、騎手も武豊騎手が全盛期の中知名度の低い当時若手ジョッキーの和田騎手、そして完璧な成績であった4歳時と比較してクラシックでの惜敗と5歳時での成績の低下等が影響しているのだと思います。
また、4歳時の成績についても、相手が毎回メイショウドトウナリタトップロードラスカルスズカエアシャカール等同じようなメンバーだったことも評価が上がらない原因にあげられています。
タラレバになってはしまいますが、4歳で引退していたり、勝てないまでも5歳のときに海外に挑戦していたらイメージも変わっていたのかもしれません。
特に、海外遠征については血統背景やしぶといレースぶりからも欧州のレースへの適性がありそうであっただけに残念です。
それでも、当時の世界賞金王にして古馬中長距離のG1を完全制覇をした実績は薄れるものではなく、怪我も無く走り続けて勝ち続けるということはとてつもなく偉大なことだと感じています。
昔と今と比較するのもあれですが、近年は古馬中長距離G1をすべて出走する馬自体がいなくなってきておりますので、今後オペラオーの記録はまず破られることはないでしょう。
そして最近では騎手の乗り替わりも頻繁に行われる中、当時実績の乏しい若手ジョッキーであった和田騎手一筋といった部分も本当に好感が持てます。
(一時乗り替わりの噂も出ており、数年後に武豊騎手が菊花賞後に騎乗の打診があったと話もしていました)
マイナー血統でも有力な厩舎や騎手でなくても、大差をつけて勝つことがなくても、勝ち続けるという一番難しい偉業を達成したテイエムオペラオーは後世に語り継がれる歴史的な競走馬であったと信じています。

○リンク

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名馬列伝 第2回 「ナリタブライアン」

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○基本情報
 父 ブライアンズタイム
 母 パシフィカス
  母父 Northern Dancer
 
 馬主   山路秀則
 調教師  大久保正
 主戦騎手 南井克己・武豊

 通算成績 21戦12勝 [12-3-1-5]
 主な勝鞍 朝日杯
      皐月賞
      日本ダービー
      菊花賞
      有馬記念
 受賞歴  JRA賞最優秀2歳牡馬
      JRA賞年度代表馬
      JRA賞最優秀3歳牡馬
      JRA顕彰馬選出

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○概要
名馬列伝第2回はシャドーロールの怪物と呼ばれたナリタブライアン
自分を競馬に導いてくれた馬で、リアルタイムでしっかりと記憶に残っている一番古い競走馬です。
3歳の三冠から有馬記念までの圧倒的な強さと、その後の古馬になってからは怪我による低迷。
ローテーションや体調等色々な面でも物議を醸した馬でしたか、全盛期の強さは歴史に残る最強馬の1頭に数えられるに相応しいものでした。

○戦績
デビューは2歳の夏の函館の1200m。今でこそ夏にデビューする有力馬も多いですが、当時の夏の2歳戦は短距離しかなく有力馬は秋以降にデビューするのが当たり前でした。
そんな中ナリタブライアンは夏にデビューし、新馬戦は2着、その後折り返しの新馬戦で(当時は同開催の新馬戦には複数出走出来ました)勝ち上がり、勝ち負けを繰り返し秋の京都2歳Sでをレコードで重賞初勝利、1番人気で朝日杯に望みます。
朝日杯では1番人気に答え危なげなく勝利して、翌年のクラシックの最有力候補に浮上します。
迎えた3歳の初戦は共同通信杯、ダービーに向けて東京競馬場を経験させるための出走でしたが難なく勝利。次走の皐月賞トライアルのスプリングSも問題にせず、皐月賞を前に既に三冠間違い無しと言われてました。
迎えた皐月賞ではこれといった対抗馬もいない中圧倒的な1番人気。
レースはハイペースの中ナリタブライアンは先行馬のすぐ後ろから直線入ってところで先頭に並びかけるレースぶり。そのまま後続を突き放し先頭でゴール。
3歳春の時点でコースレコードを叩き出す圧勝となりました。
3歳のナンバーワンを決めるダービーも、もはやナリタブライアンにとっては通過点でしかありませんでした。皐月賞組とは勝負付けが済んでおり、別路線からナムラコクオーエアダブリンといった未対決の参戦もありましたがやはりナリタブライアンの敵ではありませんでした。
レースの方は外枠からスタートしたナリタブライアンは中断外目を進みましたが、待ちきれんばかりの手応えで捲っていき直線入る頃には不利を受けない大外へ、楽に先頭に並びかけその後のぐんぐん加速して当たり前と言わんばかりの走りで1着でゴールし日本ダービーを制します。
この時点ですでに同じ3歳には敵がいないため、興味は兄で古馬となって天皇賞春を完勝したビワハヤヒデとの兄弟対決に向いていきました。
三冠の菊花賞を目指したナリタブライアンですが、夏場に体調を崩した影響かトライアルの京都新聞杯ではスターマンに足元を救われ、3歳時で唯一の敗退となります。
しかし本番に向けて体調も立て直しいつも通りの断トツの1番人気でレースに向かいます。
菊花賞ではダービーのメンバーにトライアルを連勝し前走でナリタブライアンに土を付けたスターマンが加わった顔ぶれでしたが、全くものともせずに稍重ながらレースレコード、2着に7馬身差の今までで1番の圧勝となりました。
三冠全てを完勝で飾ったのですが、負かした相手がエアダブリンヤシマソブリンといった後にG1に届かなかったメンバー(世代としてはサクラローレルも今したが本格化する前でした)なので、ライバル不在というのが少し残件ではありました。
そして、世代を越えたライバルになるべきでした兄のビワハヤヒデやそのライバルのダービー馬ウイニングチケットも故障で引退していた為、世代ナンバーワンから現役ナンバーワンをかけた次の有馬記念もライバル不在で圧倒的1番人気で圧勝します。
ツインターボの大逃げや同世代の最強牝馬ヒシアマゾンの意地など見所もありましたが、ナリタブライアンの強さはここでも変わらず。
4コーナーで先頭に並びかけてそこから独走するいつもの横綱相撲で、初の古馬との対戦もあっさりクリアします。
しかし、残念なことにこの有馬記念が強いナリタブライアンとして最後のレースとなってしまいました。
古馬になってからより一層の活躍を期待されましたが、ここから先は怪我や体調不良、ローテーションや鞍上問題といったレース以外の部分で話題となることが多くなってしまいます。
古馬になって最初のレースは天皇春のトライアルとして阪神大賞典になりました。
レースは問題なく圧勝しましたが、その後本番に向けた調教中に右股関節炎を発症し天皇賞を回避します。
この怪我がナリタブライアンの負の連鎖の始まりとなってしまいました。
怪我によって春競馬は休み秋に備えましたが、怪我が完治した後も中々体調が戻らず、不安を抱えたまま秋競馬に向かいます。
また体調とは別の問題もあり、主戦騎手の南井騎手が落馬負傷中の為、復帰戦となった秋の天皇賞には的場騎手で臨むことになりました。
これも武豊騎手や松永幹夫騎手といった候補の名前が出たあとにギリギリで決まった話でしたので、部外者の自分に真相はわかりませんが紆余曲折あったのだと思います。
そして迎えた秋の天皇賞ですが、追い切りの内容も今一つの体調、乗り変わりにさらに長期休養明けといった多くの問題もありましたが、それでもファンは1番人気に指示します。
しかしそこに前年までの強いナリタブライアンはもういませんでした。
レースは全く見せ場を作れずに敗退。
体調が戻っていないのにレースを使い、名馬に傷を付けたと陣営にはかなりの批判が当時はあったと記憶してます。
しかし個人的な意見ですが、過去の戦績をみても叩き良化型で間違いのないナリタブライアンにとって、京都大賞典に間に合わなかった以上秋の天皇賞を叩き台とするのは仕方ないと思います(アルゼンチン共和国杯がありますがハンデ戦のため実質出走不可能でした)。
これは今でもそうなのですが秋競馬は天皇賞のトライアルを過ぎるとジャパンカップ有馬記念に向けたトライアルレースが失くなってしまうのは問題だと思います(話はずれますが宝塚記念も同じですね)。
その後ジャパンカップ有馬記念は鞍上を武豊に変更して望みましたが敗退し、競走馬にとって全盛期と言われる4歳を不本意な形で終えることになります。
迎えた5歳になり初戦は前年と同様に阪神大賞典になりました。
昨年の有馬記念で完敗した1つ下の世代の代表馬マヤノトップガンとの再戦になり、競馬ファンにはお馴染みの名勝負となりました。
1番人気はマヤノトップガンに譲りましたが、それでも復活を期待するファンは多く僅差の2番人気でレースを迎えます。
レースは先行しているトップガンとをナリタブライアンがみる形で進み、3コーナーからこの2頭が仕掛け、直線入る頃には完全にマッチレースになります。
そこから一進一退の攻防が続き、最後ナリタブライアンが頭だけでたところがゴールでした。
3着はそこから9馬身も後方で、自分も含め競馬ファンを虜にした世紀のマッチレースとして今でも語られています。
しかし、自分の中では全盛期のナリタブライアンだったら、もっと突き放していたんじゃないかと思わずにはいられない気持ちがありました。
阪神大賞典で復活を果たして次に向かった天皇賞では再度トップガンとのマッチレースが期待されましたが、トップガンがまさかの凡走(この先を考えるとまさかではないのですが、、、)ナリタブライアンは力は見せますが、この時はまだ伏兵だったサクラローレルに完敗、2着で終わります。
しかしこの春の長距離2戦については、以前の圧倒的な強さこそ見せられませんでしたが、完全復活を期待させる内容ではあったと思います。
しかしこの後に予想だにしない出来事がおこります。ナリタブライアン高松宮杯に出走。
まさかの3200mの長距離戦からから1200mのスプリント戦へ出走です。当時は大きな批判と、一部ではナリタブライアンだったら通用するかもといった声があがってましたが、結果的には失敗に終わります。
期待込みの2番人気ではありましたが慣れないスプリント戦で前半ついていくことができす、直線で追い上げはしたものの4着まで。
レース事態は失敗とまではいえないものの、これがラストレースとなってしまいました。
このレースが直接の原因かどうかはわかりませんが、高松宮杯の1ヶ月後に屈腱炎を発症し引退。結局再び圧倒的に強いナリタブライアンを見ることなく現役を終えてしまいました。

○引退後
圧倒的な強さを見せたナリタブライアンは、種牡馬とした当時の内国産馬としては最高の20億を越えるシンジケートが組まれました。
繁殖牝馬も一流の馬が選ばれ当時外国産種牡馬全盛期のなか高い期待をもたれていたのですが、僅か2世代を残したのみで残念ながらその生涯を終えてしまいました。
産駒からは重賞等の勝ち馬は出すことができず後継種牡馬も残すこともなくその血を将来へ繋ぐことはできませんでした。

○感想
夏の短距離戦でデビューし、朝日杯の時点ですでに7線目。後の三冠馬とは思えないような使われ方をした2歳時代、体調や怪我、ローテーションの問題がレースより大きく取り上げられた古馬の時代。
結局超一流馬としての実績は朝日杯から3歳の有馬記念までのとても短い期間でした。
しかしその間に見せた圧倒的な強さは、鮮明に心に残ってます。
そして、マヤノトップガンとのマッチレースやビワハヤヒデとの対決が叶わなかった事など、とてもドラマチックな競走馬でもありました。
圧倒的な強さとどこか脆さが混じっており、自分は雑草魂を感じる最強の競走馬、そして自分に競馬の魅力を教えてくれた忘れることのできない最強馬の1頭だと思います。

○リンク

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名レース列伝 第8回 「第53回安田記念(2003年)」

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○基本情報
 日時  2003年6月8日
 競馬場 2回東京6日目
 距離  芝左1600m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 アグネスデジタル
     2着 アドマイヤマックス
     3着 ローエングリン

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○背景

第8回目の名レース列伝は第53回の安田記念です。
春のマイルの王者決定戦となる安田記念は、ダービーの翌週に東京競馬場で行われます。
毎年有力馬が集結するレースですが、この年も複数の有力馬が集まる混戦模様でした。
本来であれば南部杯天皇賞秋~香港カップフェブラリーステークスと距離・場所・馬場を問わずG1を4連勝を記録して実績では圧倒的なアグネスデジタルが人気になるはずでしたが、フェブラリーステークス後の海外遠征のドバイと香港で敗退しその後故障で休養に入り、前走の地方交流競走のG3かきつばた記念で約1年ぶりの復帰を果たすも4着であった為、全盛期は過ぎてしまったとの見方もあり本来の力を取り戻しているか判断に迷う状況で人気を落としていました。
変わって一番人気になったのは前年のクラシックでは結果が出ませんでしたが、その後距離を短くしてから結果を出し中山記念マイラーズカップというG2を連勝中の4歳馬のローエングリンです。
2番人気も同じく4歳馬で前年のNHKマイルCの覇者テレグノシスで、NHKマイルCの後は勝ちに恵まれていませんでしたが前哨戦のG2京王杯スプリングCを勝利して臨みます。
ちなみにテレグノシスは主戦の勝浦騎手が騎乗停止中でしたので、当時短期免許で来ていた若き日のミルコデムーロ騎手が手綱をとっています。
そして3番人気は前年の宝塚記念のの優勝場で、これまたその後勝ちに恵まれていませんでしたが前走のG3新潟記念を勝利して復活したダンツフレームで、実績一番のアグネスデジタルは4番人気に甘んじていました。
復活を目指す古豪アグネスデジタルに、4歳5歳馬が挑む構図でのレースとなりました。

○レース

人気こそ4番人気ではありましたが実績一番のアクネスデジタルと、新鋭ローエングリンの出だしに注目が集まります。
まず注目は逃げもしくは2番手の競馬を続けていたローエングリンの位置取りですが、スタートを決めて外から先頭を主張するミデオンビットを行かして2番手で折り合います。
アグネスデジタルは2枠からのスタートでそのまま馬に任せて中段のインコースにつけ、大外枠スタートのテレグノシスアグネスデジタルと同じような位置の外につけ、ダンツフレームは先行の4番手の内側につけます。
ペースは速くもなく遅くもない平均ペースでレースは進み、また内側が有利の馬場状況でもあった為先行して内ラチ沿いを走るローエングリンには絶好の展開となりました。
そのままのペースでレースは進み直線に入りますが、ペースが速くなかったため先行した馬も力を残しており後方の馬との差が中々詰まりません。
ようやく2番手にいたローエングリンがラスト200mで逃げ馬を交わし一馬身ほど抜け出し先頭に躍りでて、そこから懸命に逃げ切り体制に入ります。
それを追い上げるのが外枠からいつのまにか内に潜り込んでいた伏兵アドマイヤマックス、そして外に持ち出して懸命に追いかけるアグネスデジタルです。
ダンツフレームは内側からじわじわと追いかけますが先頭争いには加われず、テレグノシスも外から延びあぐねていました。
そして、アドマイヤマックスローエングリンとの差を徐々に詰め、ラスト100mを切って残りわずかとなったところで馬体を合わせてかわしにかかります。
アドマイヤマックスローエングリンを交わして先頭に躍り出たと思った直後、それをすぐ外からアグネスデジタルが襲い掛かり首差だけ交わしたところでゴール。
着差は本当にわずかでしたが、見事古豪アグネスデジタルの復活劇で安田記念の幕は閉じました。

○感想

今回の安田記念では全盛期を過ぎたと思われていた古豪に、勢いのある若馬が挑戦するという構図でしたが、見事古豪復活という形で終了しました。
アグネスデジタルの勝タイムはオグリキャップのもつレコードタイムを更新するコースレコードで、古豪復活に花を添えました。
春競馬の古馬のレースは、前年までクラシックを走っていた馬が古馬に挑む形が多く、若い挑戦者が世代交代をみせつけて新しい時代を示してくれますが、それをはじき返すアグネスデジタルの底力を見た気がします。
もちろんアグネスデジタル自体がG1のみを4連勝できるようなもともと強い馬ではありましたが、この後のレース見ますと全盛期はやはり過ぎており意地でつかみ取った勝利だと思います。
これでアグネスデジタルはG1も6勝目で、芝ダート、国内海外問わず4年連続G1勝利という歴史に残るオールラウンダーとして息の長い活躍となりました。
このレースがアグネスデジタル最後の勝利となってはしまいましたが、若い馬に立ちはだかる古馬の壁として最後の力を振り絞ってくれたのではないでしょうか。

○リンク 

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