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名馬列伝 第3回 「テイエムオペラオー」

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○基本情報
 父 オペラハウス
 母 ワンスウエド
  母父 Blushing Groom
 
 馬主   竹園正繼
 調教師  岩元市
 主戦騎手 和田竜二

 通算成績 26戦14勝 [14-6-3-3]
 主な勝鞍 皐月賞
      天皇賞春×2回
      宝塚記念
      天皇賞
      ジャパンカップ
      有馬記念      
 受賞歴  JRA賞最優秀3歳牡馬
      JRA賞最優秀4歳以上牡馬
      JRA賞年度代表馬
      JRA顕彰馬選出

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○概要
名馬列伝第3回は「世紀末覇王」として前代未聞の古馬中長距離完全制覇を果たしたテイエムオペラオーです。
サンデーサイレンス武豊騎手の全盛期に合って、良血とは呼べないオペラハウス産駒で当時はまだまだ実績のない若手ジョッキーの一人であった和田竜二騎手とのコンビで完全無欠の強さを誇りました。
特に世紀末の2000年には前哨戦含む8戦8勝、G1を5勝という離れ業を成し遂げました。
当時の世界賞金王の走りを振り返っていきたいと思います。

○戦績
テイエムオペラオーのデビューは2歳の8月の京都の芝マイル戦で、1番人気になっていたものの2着となり敗退。
その後骨折が見つかった為2歳の競馬は終了、復活するのは年明けの3歳となってからになりました。
年が明け1月、3歳となり故障も完治して迎える2戦目ですが故障の影響も考慮してかダート1400mの未勝利戦となりました。
生涯で最短の距離となったこのレースですが、故障明けや決して適距離とは言えない短距離としては悪くないまずまずの走りを見せ4着で終えます。
故障明け2戦目となったのはそこから1か月後、距離も伸ばしたダートの1800mの未勝利戦でしたがこちらを5馬身差で完勝し、今後の活躍に期待を持たせる内容となりました。
故障明けの試走を完了したオペラオーはそこから芝のレースに照準をあわせていき、次走は芝2000mの500万下のゆきやなぎ賞になりましたがこちらを接戦の上勝利します。
2勝目を上げたことによりいよいよクラシックを目指すこととなったオペラオーは、重賞初挑戦となる毎日杯に挑みます。
当時の毎日杯皐月賞のトライアルがすべて中山競馬場で行われていたため、西の秘密兵器の登場が期待され皐月賞への最終搭乗便とも言われていました。
骨折の為出世が少し遅れたオペラオーも皐月賞に向けた最終搭乗便に乗るべくレースに向かい、3番人気ではありましたが好位からあっさり抜け出して4馬身差の完勝をおさめ、見事皐月賞の切符を手に入れました。
そして骨折の為クラシックの一次登録をおこなっていなかったオペラオーでしたが、追加登録料を支払い西の秘密兵器としてクラシックの第一弾である皐月賞に向かいます。

初めての強敵との対戦となる皐月賞ですが、ここでオペラオーに立ちはだかるはアドマイヤベガナリタトップロードの2頭です。
父がサンデーサイレンスに母が名牝のベガという超一流血統に、騎手は武豊ジョッキーで馬主は当時勢いのあったアドマイヤ軍団であるアドマイヤベガ
父親が現役時代に人気があったサッカーボーイの代表産駒にして、前走でアドマイヤベガに勝利し重賞を連勝中のナリタトップロード
この年のクラシックを彩る3強が初めて集まったレースでしたが、アドマイヤベガが1番人気トップロードが2番人気の2強を形成し、オペラオーは離れて5番人気でレースを迎えます。
レースは後方待機となったオペラオーに、その少し前にアドマイヤベガ、さらに前にトップロードの形となっていましたが、3コーナーから4コーナーにかけて3頭が重なるように外から上がっていき直線を迎えます。
3頭の中ではまずアドマイヤベガが良馬場ではあったが雨が降った為足を取られたのか思いのほか伸びることがなく脱落します。
そして馬場の真ん中からトップロードが徐々に差を詰めていきますが、内側から抜け出した伏兵オースミブライトをとらえるところまでいたりません。
そして最後に大外から追い上げたオペラオーがグングン内側の馬を交わしていき、最後まで粘るオースミブライトを首差交わしたところがゴールで見事皐月賞を制しました。
しかしこのレースは前述の通り良馬場ではありましたが雨の為馬場が悪くなり、ダートでも勝利していて重馬場に強いと言われていたオペラオーに馬場が味方したともいわれていました。

次走はもちろん3歳馬の頂点を決める日本ダービーで、このレースで本当の意味での3強になりました。
1番人気と2番人気は前走と変わらずアドマイヤベガとトップロードに譲りましたが、オペラオーもほとんど差のない3番人気となり、前走の西の秘密兵器から完全な3強の一角として、また唯一の2冠馬を目指してレースに挑みます。
しかしこのレースは完全に騎手の腕の差といって良い内容のレースとなりました。
当時21歳の若手ジョッキーにして最年少ダービージョッキを目指していたオペラオーの和田竜二騎手、トップロードとのコンビが初重賞勝利であり実績に乏しい渡辺薫彦騎手、そして当時全盛期にして前年にスペシャルウィークでダービーを制覇しダービージョッキーとして臨んだ武豊騎手。
2人の若手ジョッキーに対して武豊騎手が高い壁となって立ちはだかります。
レースがスタートして3頭の位置取りですが、今回はオペラオーが一番前のほぼ中段でそれを外から見るようにトップロードがつけ、少し離れた後方のインコースからじっくりアドマイヤベガが構えます。
3コーナーから4コーナーにかけはやめにオペラオーが動き好位に取り付いて直線に向かい、それを追いかけるようにトップロードも進みます。
一方後方の内側にいたアドマイヤベガですが、いつの間にかインコースから大外に持ち出し、最短コースでトップロードのすぐ外につけていました。
まず抜け出したオペラオーでしたが、ラスト200mくらいで足が止まってしまいトップロードにかわされます。
そしてそのまま粘りこもうとするトップロードでしたが外から図っていたかのようにアドマイヤベガが襲い掛かり、首差だけ交わしたところがゴールになりオペラオーはトップロードから少し遅れた3着になりました。
このレースは馬の力はほぼ互角だった思いますが、武豊騎手の手綱さばきが差を分けたのではないかと思います。

惜しくもダービー制覇はかなわなかったオペラオーでしたが、秋の雪辱に期待されていましたがここから年内は苦戦が続くこととなります。
夏場を休養した秋初戦ですが菊花賞トライアルではなく古馬との対戦となる京都大賞典となりましたが、ここでは初の古馬相手に善戦し僅差の3着となり菊花賞に期待を持たせる内容となりました。
迎えた本番の菊花賞はダービーと同様に3強を結成し、今回はアドマイヤベガ、オペラオー、トップロードの順番の人気になりました。
レースは3強になかで唯一無冠であったトップロードでしたが、今回は積極的な競馬をおこないます。
今までと違い好位からトップロードが進み、オペラオーとアドマイヤベガは中断やや後ろからの競馬となりそのまま直線を迎えます。
好位から早め先頭で逃げ込みを図るトップロードを、オペラオーとアドマイヤベガが追いかけますがアドマイヤベガは距離のせいなのか延びあぐね、オペラオーが必死で追いかけるも首差届かずトップロードが粘りこんで優勝します。
このレースは3強として最後の1冠にかけていたトップロードと渡辺騎手の意地が最後首差に出たのではないかと思います。
こうしてクラシックは3強が1勝づつ分けある形で終了しました。

秋の2戦で勝ちきれなかったオペラオーでしたのでしたが、次走は確勝を目指しステイヤーズSに出走するも2着に敗退します。
3歳最後のレースとして有馬記念に出走し、最後の直線では一時先頭に見せ場を作りグラスワンダースペシャルウィークとタイム差なしの接戦となるも3着となり、オペラオーの三歳は終了しました。

迎えた古馬となる4歳ですが、この年のオペラオーは前代未聞の大記録を達成します。
4歳初戦として迎えた京都記念でトップロードを下し皐月賞以来の勝利をすると、これで勝ち方を思い出したのか天皇賞春の前哨戦である阪神大賞典でもトップロードとラスカルスズカを下して本命として天皇賞春に向かいます。
迎えた天皇賞春ではアドマイヤベガに代わり前走の阪神大賞典2着のラスカルスズカが3強の一角となり、オペラオー、トップロード、ラスカルスズカの順の人気となりました。
レースは菊花賞と同様に積極的な競馬を試みたトップロードが好位から進み、オペラオーは中断、ラスカルスズカは後方からの競馬となりますが、今回のレースは菊花賞と違いました。
早め先頭から粘りこみを図るトップロードに対して、オペラオーも早めに上がっていき直線に入る頃には並びかけ力でねじ伏せにかかります。
トップロードを交わして先頭に立ったオペラオーは後方から迫るラスカルスズカも3/4馬身しのいで優勝、皐月賞以来のG1を手にします。
着差こそ大きくはありませんが、自分から動いてしっかりと勝ち切るといった横綱相撲での勝利となり、オペラオーのこれからを予感させるようなれーすとなりました。

オペラオーが次走に選んだのは宝塚記念で、ここでは前年の有馬記念で敗れた一つ上の世代の怪物グラスワンダーとの対戦となりました。
グラスワンダーのほかにはトップロードこそ回避しましたが、引き続きラスカルスズカにこれから長い付き合いとなる盟友メイショウドトウステイゴールドが参戦しました。
レースの注目はオペラオーとグラスワンダーの頂上決戦でしたが、有馬記念では接戦だった2頭でしたがその後の2戦で惨敗し調子を崩していたグラスワンダーと、有馬記念後は3連勝して絶好調だったオペラオーとの差は歴然でした。
3コーナーから4コーナーにかけてオペラオーに並びかけるもそこから直線で伸びを欠いたグラスワンダーインコースをするすると上がっていく奇策を用いて直線早め先頭で押切りに入るも中段半ばで力尽きたラスカルスズカをよそに、オペラオーは最内から直線は外に持ち出し前を行くメイショウドトウを追いかけ、しっかり首差差し切ってゴールしました。
天皇賞と同様に差はわずかでしたが、完勝といえる内容でG1連勝を果たします。

秋になった初戦は前年3歳で挑戦した京都大賞典でしたが、ここでもオペラオーはナリタトップロードを相手に好位から頭差だけ競り勝ち接戦をものにします。
そして迎えた天皇賞秋ですが、このレースでは若干距離が短いのではないかと思われたのと外枠不利の東京の2000mで外枠に入ったせいか一番人気ではあったものの単勝2.4倍と若干人気を落としていました。
しかし相手となるのがトップロードにメイショウドトウステイゴールドといった春に下した馬たちであり、完成されたオペラオーの前には敵ではありませんでした。
先行していつもより危なげなく直線半ばではメイショウドトウを交わして先頭に立ち、そのまま2・1/2馬身突き放してゴール。
2着は宝塚記念と同様盟友メイショウドトウで、トップロードは5着に敗退。
一番人気が12連敗中という魔のレースとも呼ばれていた天皇賞秋でしたが、危なげなく勝利します。

同世代に敵がいなくなったオペラオーは、次のジャパンカップで1歳下の2冠馬のエアシャカール(ダービーが鼻差の2着なので準3冠馬とも言われてました)、オークス馬のシルクプリマドンナ、外国馬で鞍上が当時世界No1ジョッキーのデットーリを配したファンタスティックライト、そして盟友となったメイショウドトウと対戦します。
しかしここでもオペラオーの強さは別格でした。
天皇賞と比べるとやや後ろからとはなりましたが、いつもと同じように中段から進むオペラオーに対して、これまたいつも通り好位からの競馬となるメイショウドトウに、ファンタスティックライトエアシャカールは後方からオペラオーを見ながらのレースとなりました。
圧倒的人気のオペラオーはスローペースと周囲のプレッシャーもあり、中段の馬群の中で動きの取れない展開となります。
そして3コーナーから積極的に捲ってでたエアシャカールに場内は一瞬期待はするものの直線に入ってからは伸びをかき、周囲のプレッシャーから抜け出すのに少し時間がかかったオペラオーでしたが、前を行くメイショウドトウを馬場の真ん中から追い上げラスト100mで交わし、後ろからファンタスティックライトの追撃も振り切ってゴール。
2着メイショウドトウ、3着ファンタスティックライトとは首差、鼻差の接戦を制して古馬中長距離G1グランドスラムに王手をかけました。

グランドスラムをかけた有馬記念ですが、天皇賞秋とジャパンカップと比べてもこれといった有力な新星は現れず、再度メイショウドトウナリタトップロードが相手となりました。
しかし本当のこのレースの相手はこの2頭ではなく、グランドスラムに向けたオペラオー自身及び和田竜二騎手へのプレッシャーと、グランドスラムをさせまいとする百戦錬磨の周囲のベテランジョッキーでした。
出走前に顔を強打するというアクシデントがありましたが無事に出走を果たしたオペラオーは今まで通り中段からレースを進めようとしましたが、1週目の4コーナーあたりで前が詰まり体制を悪くして後方からの競馬となってしまいます。
レースは進みますが後方のオペラオーは動くことができず、前にも行けず外にも出せず完全に閉じ込められたままになります。
小回りで直線の短い中山競馬場で圧倒的不利となる後方で閉じ込められたまま後方の11番手で直線を迎えますが、直線に入っても前があかない中少しずつばらけてきた馬群の隙間を縫うように徐々に徐々に前に出ます。
そして隙間を縫って馬群を抜けようやく前があいたラスト100m、そこから猛然と前を追いかけメイショウドトウに鼻差競り勝ちゴール、見事グランドスラムを達成しました。
このレースでは今まで他の馬に付き合うようにレースをしてきたオペラオーが、初めて本気で走ることとなったレースとなったのではないかと思います。
これでこの年はG1を5勝を含む年間重賞8連勝という前代未聞の記録を達成したオペラオーは、見事万票で年度代表馬となりました。

年が明けて5歳となったオペラオーですが、国内に敵がいなくなったこと、レース内容や血統背景から凱旋門賞を目指してほしいとの声も多くありましたが、今と違いまだまだ海外に積極的でなかった背景もあってかまずは春は国内でのレースを選択します。
しかし、前年にグランドスラムを果たしたオペラオーにはもう一年同様の結果を出すことはできず、結果的に中途半端な成績となってしまいます。
年明けの初戦は前年の秋の激戦の影響や和田騎手の負傷の影響もあって、少し間をあけて当時はまだG2で天皇賞春の前哨戦であった産経大阪杯に出走しますが4着に敗退します。
これは休み明けのせいと距離も若干短かったのもあり前哨戦としてはまずまずの成績ではありましたが、オペラオーの前年の状態から若干不安を覚えました。

そして若干の不安を感じながら迎えた本番の天皇賞春でしたが、ここではまたいつものオペラオーの姿を見ることができました。
対するはいつものメンバーとなったメイショウドトウナリタトップロードエアシャカールといった面々でしたが、距離が長いのと頭数も12頭と少なくプレッシャーも少なかったためいつもどうり中段からしぶとく伸びてメイショウドトウに1/2馬身差をつけて1着でゴールします。
ちなみにこのレースでメイショウドトウも前年の宝塚記念からG1を5戦連続でオペラオーの2着になり、オペラオーがいなければ年をまたぎはしますが古馬G1完全制覇という記録です。
また、メイショウドトウは決して今までいたような善戦マンではなく、しっかりと前哨戦のG2戦等は勝利している実績馬でもありました。

本当に国内には敵がいなくなってしまったオペラオーでしたが、ついに競馬ファンの希望であった海外遠征について次走の宝塚記念次第では検討するとの声明がだされ自分も期待していましたがそう上手くことは運びませんでした。
海外に向けたレースとして迎えた宝塚記念についてですが、1年にわたり惜負を繰り返してきた盟友メイショウドトウとの着順が入れ替わることになります。
いつもどうりオペラオーにメイショウドトウエアシャカールが挑む形となった宝塚記念では、メイショウドトウが積極的なレースを見せます。
今までと同じように競り合っては勝てないと考えたのか、メイショウドトウ安田康彦騎手は好位からレースを進め4コーナーでは早めの先頭に立ちます。
今まで通り中段から進んだオペラオーでしたが4コーナーで馬群に包まれ不利があり、一瞬立ち遅れ後方に取り残されてしまいます。
そこから猛然と前を追いかけるオペラオーでしたが、いつもより早めに仕掛け差が開いていたメイショウドトウとは中々追いつくことができず、馬体を合わせることなく1・1/4馬身届かず2着となりました。
このレースでは積極的な競馬で早めに差を広げたメイショウドトウと、4コーナーで立ち遅れたオペラオーの両方が重なり逆転したのだと思います。
そしてメイショウドトウは1年にわたる惜敗の雪辱を晴らすこととなりました。

宝塚記念の結果からオペラオーの海外遠征はなくなり、秋も国内で走ることとなりました。
むかえた秋初戦の京都大賞典は危なげなく勝利しますが、これがオペラオー最後の勝利となりました。

続く天皇賞秋では3歳の強豪馬クロフネとの対戦が期待されていましたが、当時は外国産馬は2頭までの出走だったため当初はメイショウドトウクロフネが出走予定でしたが別路線のアグネスデジタルが出走したことによりクロフネは出走できず対戦となりませんでした。
しかし、そのアグネスデジタルの激走にオペラオーは2着に敗れます。
宝塚記念の教訓からかいつもより前の好位から進んだオペラオーでしたが、直線に入って逃げるメイショウドトウを交わして先頭に躍り出ますが、大外からアグネスデジタルの強襲に合い差し切られてしまいます。
前々から接戦には無類の強さを誇るオペラオーでしたが、負けるとすればいわゆる直線の切れ味勝負になり接戦に持ち込めないときだと思っていましたがこれが現実となります。
宝塚記念では不利もあっての2着でしたが、この天皇賞秋は展開の綾はあるかもしれませんが、純粋な勝負の中での2着となりました。

続くジャパンカップでも天皇賞と同様の結果になります。
今度は3歳のダービー馬ジャングルポケットの差し切られ2着になります。
前走と同じく好位から直線早めに先頭に並びかけてラスト200mで先頭に躍り出てゴールを目指しますが、最後ジャングルポケットにこれまた強襲され首差交わされたところがゴールでした。

秋のG1を2戦連続で2着であったオペラオーは最後の有馬記念での雪辱に挑みますが、すでに力を出し切ってしまったのか3歳の菊花賞マンハッタンカフェが優勝する中沈黙。
最後のレースとなった有馬記念では5着となり、現役生活を終えることになりました。

○引退後
4歳児に圧倒的な強さを見せたオペラオーですが、その強さとは裏腹に種牡馬としては活躍することができませんでした。
当初は社台での繋養も噂をされておりましたが、最終的には竹園オーナーの個人所有での種牡馬生活となりました。
また、血統背景もお世辞にも日本の馬場にあっているとも言えず、5歳の成績が悪く人気も落としてしまったため現役の競争成績から考えると有力牝馬はあまり集まらず、産駒も中央競馬ではほとんど活躍することはありませんでした。
そして、竹園オーナーのオペラオーの血統を残したいという思いは強く、竹園オーナーの所有馬でG1を3勝した名牝テイエムオーシャンに種付けしたりもしましたが成績は伴わず、平地の重賞の勝馬は出すことなく種牡馬生活を終え、2018年22歳でその生涯に幕を閉じました。
また、オペラオーが無くなった後の宝塚記念では、主戦の和田騎手がオペラオー以来となるG1を勝利し、オペラオーが後押ししてくれたのではないかと話題にもなりました。

○感想
古馬中長距離G1完全制覇という偉業を達成しながらもいまいち人気がなく地味な印象のオペラオー。
成績だけでみると歴代最強馬と呼ばれてもおかしくないのですが、オペラオーを歴代最強馬と考える人は少ないのではないでしょうか。
これは当時サンデーサイレンス全盛期の中でマイナーな血統背景、騎手も武豊騎手が全盛期の中知名度の低い当時若手ジョッキーの和田騎手、そして完璧な成績であった4歳時と比較してクラシックでの惜敗と5歳時での成績の低下等が影響しているのだと思います。
また、4歳時の成績についても、相手が毎回メイショウドトウナリタトップロードラスカルスズカエアシャカール等同じようなメンバーだったことも評価が上がらない原因にあげられています。
タラレバになってはしまいますが、4歳で引退していたり、勝てないまでも5歳のときに海外に挑戦していたらイメージも変わっていたのかもしれません。
特に、海外遠征については血統背景やしぶといレースぶりからも欧州のレースへの適性がありそうであっただけに残念です。
それでも、当時の世界賞金王にして古馬中長距離のG1を完全制覇をした実績は薄れるものではなく、怪我も無く走り続けて勝ち続けるということはとてつもなく偉大なことだと感じています。
昔と今と比較するのもあれですが、近年は古馬中長距離G1をすべて出走する馬自体がいなくなってきておりますので、今後オペラオーの記録はまず破られることはないでしょう。
そして最近では騎手の乗り替わりも頻繁に行われる中、当時実績の乏しい若手ジョッキーであった和田騎手一筋といった部分も本当に好感が持てます。
(一時乗り替わりの噂も出ており、数年後に武豊騎手が菊花賞後に騎乗の打診があったと話もしていました)
マイナー血統でも有力な厩舎や騎手でなくても、大差をつけて勝つことがなくても、勝ち続けるという一番難しい偉業を達成したテイエムオペラオーは後世に語り継がれる歴史的な競走馬であったと信じています。

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