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名レース列伝 第3回 「第115回天皇賞(春)(1997年)」

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○基本情報
 日時  1997年4月27日
 競馬場 3回京都4日目
 距離  芝右 外3200m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 マヤノトップガン
     2着 サクラローレル
     3着 マーベラスサンデー

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○背景
第3回目の名レース列伝は第115回の天皇賞(春)です。
3強と呼ばれたサクラローレルマヤノトップガンマーベラスサンデーの三頭が賑わせたレースです。
前年の年度代表馬にして現役最強と呼ばれ当年は凱旋門賞を目標とすることが決まっていたサクラローレルは、今後の海外遠征を考えてか有馬記念からの直行でレースを迎えます。一方でサクラローレルには前年G1で二度完敗を期しており雪辱に臨むの前々年の年度代表馬マヤノトップガンですが、前走の阪神大賞典で後方からの競馬で新しい一面を見せ、当レースでの出方が注目されていました。またこの時点ではまだ無冠ではありましたがマーベラスサンデーもG1を勝つのは時間の問題と思われており、前走の産経大阪杯をきっちり勝利して当レースに挑みます。
そしてこの三頭の騎手は横山典弘田原成貴武豊という当時のトップジョッキーであり、長距離戦の騎手の腕比べとしても期待して見ていました。
今でこそ直距離戦の当レースは有力馬に敬遠される傾向が強いですが、当時は古馬の春の最強馬決定戦として歴代の優勝馬は超一流の名馬ばかりのレースで、その中でも上位にくる名勝負となりました。

○レース
レースが始まるうえでまず注目されたのがマヤノトップガンの出方になります。前年までは逃げや先行で実績を上げていましたがその一方で最後差されることが多かったトップガンが、前走で後方からの競馬で新たな強さが発揮されたことでどういった位置での競馬になるのか皆の興味をひいてました。
そのトップガンはスタートすると今回は前走と同様後方からの競馬を選択します。サクラローレルは中断の外で不利のない位置取り、そしてマーベラスサンデーサクラローレルを直後でピッタリマーク、相手はサクラローレル一頭と決めつけたような位置取りになります。
淡々と流れていく中で一週目の直線を終えコーナーから向こう正面に入る頃からレースが動き出します。過去のレースでは折り合いに苦労してるイメージはなかったサクラローレルが、休み明けのせいか引っかかるそぶりを見せ向こう正面で徐々に前に進出します。あまりペースは速くなかったのとサクラローレルの力を信じたのか横山騎手はそのまま馬の行く気に任せて先団に上がっていきます。それをうけて相手はサクラローレル一頭と決め込んでいたかどうかはわかりませんがマーベラスサンデーも後を追って進出していきここから激しい流れとなっていきます。その一方マヤノトップガンは息を潜めていたといった表現が一番しっくりくるように、後方の内側でじっくり構え全く動くそぶりを見せませんでした。
そのまま最終コーナーをまわり直線に入ったころにはサクラローレルが先頭、それを直後からマーベラスサンデーが馬体を合わせて追い上げる形になり2頭の一騎打ちのような形となります。その頃息を潜めていたマヤノトップガンは後方のインコースからいつのまにか大外に持ち出して、直線にかけていました。
2頭のマッチレースに沸く競馬場でしたが、直線を半分過ぎる頃大外からマヤノトップガンがやってきます。相手を見るではなく自分の競馬に徹していたマヤノトップガンが大外一気、これぞ並ぶ間もなくといった形で2頭を交わしてそのまま先頭でゴール、レースのタイムは当時のレコードを3秒近く縮める世界レコードでの決着となりました。

○感想
このレースは3強がそれぞれ力を発揮したことはもちろん、3頭の騎手もそれぞれの思惑の中三者三葉の力を出し切ったレースとなったのではないでしょうか。向こう正面で掛かり気味になったところ馬の力を信じて行く気に任せた横山騎手、サクラローレル一頭を徹底マークして他に負けたら仕方ないといったレースをした武豊騎手、自分の競馬に徹して周りに惑わされなかった田原騎手、それぞれの騎手の腕比べについても楽しむことができました。
もちろんサクラローレルが休み明けだったことについて、前年の有馬記念の結果から正直少し他の馬を見くびっていたとも感じましたが、3強が持てる力を十分に発揮したレースであったと思います。
このレースを最後にマヤノトップガンは怪我で引退、サクラローレルも海外挑戦しましたが怪我で凱旋門賞には出れず、唯一マーベラスサンデーが次走の宝塚記念で念願のG1馬となりましたがその後怪我で休養、年末の有馬記念で復帰そして引退となりました。
このレース自体が怪我と何か関係があるわけではないですが、それだけ3頭とも力を出し切っていたのではないでしょうか。
歴史に残る三強と呼ばれる馬によるレースであったと思います。

○リンク 

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