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競馬ーギャンブル=ロマン

名レース列伝 第7回 「第77回東京優駿 ダービー(2010年)」

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○基本情報
 日時  2010年5月30日
 競馬場 3回東京4日目
 距離  芝左2400m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 エイシンフラッシュ
     2着 ローズキングダム
     3着 ヴィクトワールピサ

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○背景

第7回目の名レース列伝は第77回の日本ダービーです。
3歳馬のNo1を決める頂上決戦であるダービーは、競馬界の最高峰のレースです。
ダービー馬・ダービージョッキー・ダービートレーナーという称号は、競馬関係者の中では最高の栄誉になります。
そんな中この年のダービーの出走馬は空前のハイレベルなメンバーが揃い、勝っておかしくない馬が何頭もいました。
本命は新馬戦こそ2着でしたがそこから5連勝で皐月賞を制したヴィクトワールピサ(ちなみに初戦からすべて1番人気でした)。
2番人気はデビューから4連勝で青葉賞を制し名門藤沢厩舎の秘密兵器たペルーサ(こちらも初戦からすべて1番人気です)。
3番人気は皐月賞は2着ながらも上がり3ハロンは最速で東京向きと思われていたヒルノダムール
4番人気はエアグルーブ産駒でアドマイヤグルーヴの弟にしてトライアルのプリンシパルSを圧勝したルーラシップ。
5番人気はローズバド産駒という良血に朝日フューチュリティを勝利し皐月賞は4着でしたローズキングダム
そして実際にレースを勝利したエイシンフラッシュは7番人気でしたが京成杯勝馬で休み明けの皐月賞で4着でした。
またレース当日に故障により回避となってしまいましたが、NHKマイルカップを豪快に差し切って勝利したダノンシャンティもいました。
これらの馬は後にG1を勝利する馬も多く、有力馬がここまで順調にダービーに揃うということはなかなかなく、自分が知っている中でも一番の出走馬のレベルであったと思います。
例年であれば本命になってもおかしくない馬が高次元で揃い、ダービー馬の称号をかけてレースに挑みます。

○レース

高次元のメンバーが揃ったせいもあるのか、レース自体も今までにない特殊な流れのレースとなりました。
スタートしてまず2番人気のペルーサが若干出遅れ場内はどよめきます。
逃げたのは伏兵のアゼリアでしたがあまり飛ばすこともなく、ゆったりとしたペースとなります。
有力馬は、ヴィクトワールピサが先行しその少し後ろにルーラシップとローズキングダム、中段のやや後ろからエイシンフラッシュヒルノダムール、出遅れたペルーサは後方からの競馬となります。
中々ペースが上がらない中レースは進み、本来はスローペースを嫌がり後方から動いてくる馬がいてもおかしくない展開でしたが、ダービーの独特の重圧のせいかレベルの高いメンバーがお互いを警戒したせいか全く隊列は変わらず、むしろ3コーナー頃ではさらにペースが緩み先頭から最高峰までがギュッと縮まり団子状態となりました。
4コーナーで若干ペルーサが後方から中断まで追い上げにかかりますが、捲っていくまでには至らずに大きく体制は変わりません。
そしてペースが上がることなく団子状態のまま最後の直線に向かいますが、前の馬もスローペースで力を残していた為中々抜け出す馬がおらずこの時点でもどの馬が抜け出してくるのか分からない状態でした。
そんな中、5~6頭が横一線で並んでいる中からラスト200メートルの地点を過ぎる頃にエイシンフラッシュが真ん中から抜け出し、その外からはローズキングダム、うちがわからヴィクトワールピサが狭いところをこじ開けるように追いかけます。
しかし一旦抜け出したエイシンフラッシュの勢いは最後まで衰えることはなく、そのままローズキングダムを首差しのぎ切ったところがゴールでした。
そこから少し遅れた3着にヴィクトワールピサ、2番人気のペルーサと3番人気のヒルノダムールは後方から追い上げるも前が止まらず6着と9着に終わりました。

○感想

超がつくほどのスローペースのレースとなったダービーは究極の上がり勝負の決着となりました。
レースのラスト3ハロンは33.4、優勝したエイシンフラッシュに至っては究極ともいえる32.7秒の上りを記録しました。
今回のレースは展開でエイシンフラッシュの優勝に成りましたが、まさしく同じメンバーでもう一度走ったら全然違う結果となってもおかしくないと思います。
しかし、エイシンフラッシュが展開や枠順に恵まれただけかというと決してそういうわけではなく、この後に古馬となってもG1で善戦し天皇賞も勝ちますので十分に力のあった馬でした。
あくまで今回は究極の上がり勝負に向いていたエイシンフラッシュに軍配は上がりましたが、それは高次元の馬の争いの中での話でありエイシンフラッシュのレースは十分にダービー馬に値するものでした。
また、今回敗退したその他の馬についてですが、ロースキングダムは3歳の秋にジャパンカップを勝ち(降着による繰り上げではありましたが……)、ヴィクトワールピサはこの後三歳で凱旋門賞に挑戦し年末の有馬記念では3歳馬としてを優勝、4歳になってからはドバイワールドカップも優勝します。
ルーラシップは香港のクイーンエリザベスCを、ヒルノダムール天皇賞春を古馬になってから勝利し、後から見てものちのG1 ばが多くレベルの高いメンバーであったことがわかります。
ペルーサだけは残念ながら最後まで善戦マンとして終わってしまいましたが……
近年は使い分けが多く、有力馬同士の戦いが少なくなってきましたが(もちろんダービーは別ですが……)、こういった強豪馬同士のレースは見ていて本当に面白く熱くなります。
できることでしたら、これからもこういった本当の意味でのG1をもっと多く見たいものです。

○リンク 

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名レース列伝 第6回 「第66回優駿牝馬 オークス(2005年)」

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○基本情報
 日時  2005年5月22日
 競馬場 3回東京2日目
 距離  芝左2400m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 シーザリオ
     2着 エアメサイア
     3着 ディアデラノビア

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○背景

第6回目の名レース列伝は第66回のオークスです。
3歳牝馬によるクラシックの第二弾で、桜花賞組が中心ではあるものの距離の違いから、ダービーとは違い別路線組の大頭も多いレースです。
そしてこの年のオークスは、桜花賞馬であるラインクラフトが当時では珍しくその距離適性からNHKマイルカップに回った為回避。
それでも、桜花賞ではラインクラフトを超える一番人気で戦線の末2着であったシーザリオ桜花賞は4着も母はオークス2着のエアデジャブーでサンデーサイレンス産駒の良血馬エアメサイア、同じくサンデーサイレンス産駒でトライアルのフローラSを鋭い末脚で勝利しで鞍上は世界のデザーモを配したディアデラノビア等有力馬が多数いました。
なかでもシーザリオ桜花賞の敗退は距離適性の差で、桜花賞の前は1800mのフラワーカップ、2000mの寒竹賞を快勝していたため、距離の長いオークスではラインクラフトがいても一番人気であったのではないかと思われます。
また、シーザリオの鞍上は桜花賞でこそラインクラフトに騎乗の為地方名古屋の吉田稔騎手に譲りましたが、本来の主戦の福永騎手に代わり万全の態勢でオークスに臨みました。
(決して桜花賞吉田稔騎手がダメだったわけではありませんが……)
ラインクラフトがいない負けるわけにはいかないシーザリオの走りに注目が集まっていた一戦です。

○レース

まず注目されていたのはシーザリオの位置取りです。
桜花賞こそ距離のせいか後ろからの競馬で鋭い末脚をみせていましたが、それまでのレースは先行して流れに乗って押し切る競馬をしていたため、前から行くのか後ろからの競馬となるのか注目されていました。
互角のスタートだったシーザリオですが、それよりも好スタートを決めた隣枠のエアメサイア武豊騎手がすっと前に出たことにより前に行けなかったシーザリオはそのまま後方の馬群の中に納まります。
逃げたのは伏兵のエイシンテンダーで、競りかける馬もいなかったため例年通りのスローペースでレースは進んでいきます。
エイシンテンダーの騎手は武豊騎手の弟武幸四郎騎手でしたが、もちろん後ろの状態がわかっていたわけではないと思うので結果論になりますが兄のエアメサイアに対して完璧な流れを作り出します。
向こう正面では中段からエアメサイアが抜群の手ごたえで前をうかがい、その少し後ろでディアデラノビアが若干引っ掛かりそうなところをデザーモ騎手の剛腕で抑え込みながら追走、一方のシーザリオは後方の馬群の中のままでした。
スローペースの中であれば早めに上がっていきたくなるところだと思いますが、シーザリオの福永騎手は馬の力を信じていたのか全く動かずに前走の桜花賞と同じように直線にすべてをかけるように後方からレースを進みます。
最終コーナーをまわり直線に入ってまずはスローペースで力が残っていたエイシンテンダーが先頭で、エアメサイア武豊騎手はすっと馬場の真ん中から不利のない完璧なコースどりで先頭を追い、ディアデラノビアもすぐ後ろから追いかけます。。
さらにその後ろにいたシーザリオは最終コーナーをまわったところで前が少しつまり追い出すのが一瞬遅れる形となり、さらに直線にはいってからも一旦前があかず大外に持ち出すふりを受け遅れますが懸命に福永騎手の鞭に答えて前を追いかけます。
先頭は伏兵のエイシンテンダー武幸四郎機種が必至で逃げてラスト200mのところでは抜け出し単独で先頭、一瞬まさかと思わせそのまま100mをすぎても先頭のままでしたが、そのすぐ後ろからせまるエアメサイアがラスト50mくらいで何とか競り落として先頭に立ちます。
そしてエアメサイアが先頭に立ったのもつかの間、その外からディアデラノビアとさらにその外からシーザリオが襲い掛かります。
そしてゴール直前でシーザリオエアメサイアを首差交わしたところがゴール、2着エアメサイアでそこから首差でディアデラノビアという123番人気が人気通りの着順で決着となりました。

○感想

百戦錬磨の武豊騎手が完ぺきな競馬をしたエアメサイア、また結果的に最高のアシストをした武幸四郎騎手とエイシンテンダーエアメサイアを徹底マークして勝負を挑んだ剛腕デザーモ騎手、それらを大きくはないながらも不利を受けながらも力づくでねじ伏せたシーザリオと福永騎手。
近年の高速馬場では珍しくはなくなりましたが、シーザリオのラスト3ハロンは当時の3歳牝馬の春としては驚異的な33.3秒を記録していました。
決して福永騎手に大きな問題があったとは思いませんが、徹底マークされた一番人気のシーザリオがそれがどうしたと言わんばかりのレースで力を見せつけてくれました。
その後シーザリオアメリカにわたりアメリカンオークスというG1を制覇。これは日本で最初のアメリカでのG1勝利となりました。
しかしそのレースでけがを負いそのまま引退となりましたが、産駒からはエピファネイアリオンディーズ・サートゥルナーリアという3頭のG1馬をだし、サートゥルナーリアに関しては次のダービーでの活躍も期待されております。
シーザリオの競走馬としての期間は短かったですが一番底力を見せたのが今回のオークスで、その底力を継承した産駒の今後の活躍に期待したいと思います。

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名レース列伝 第5回 「第4回ヴィクトリアマイル(2009年)」

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○基本情報
 日時  2009年5月17日
 競馬場 2回東京8日目
 距離  芝左1600m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 ウオッカ
     2着 ブラボーデイジー
     3着 ショウナンラノビア

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○背景
第5回目の名レース列伝は第4回のヴィクトリアマイルです。
古馬牝馬による春のG1として始まり、エリザベス女王杯と並んで牝馬の頂上決戦となるレースです。
2009年に行われた今回のレースでは、牝馬によるダービー制覇やダイワスカーレットとの接戦を制した天皇賞秋といった複数のG1を勝利して、牡馬も含めた現役最強馬として名前の挙がっていたウオッカのレースぶりに注目が集まっていました。
この年のウオッカは年明けからドバイ遠征をおこない、前哨戦から現地でレースに臨みますがその前哨戦と本番のドバイデューティーFも馬場の問題ともうありましたがあまり良いところがなく敗戦し、海外遠征帰りの初戦として当レースに臨みます。
状態が心配されてはいたものの、ライバルであったダイワスカーレットが故障で引退していたためライバルとなる馬は多くなく、ここでは断然の一番人気でレースに挑みます。
ダイワスカーレットにかわるライバルとしては、一つ上の世代のオークス秋華賞を勝利したカワカミプリンセス、前年のエリザベス女王杯を3歳で勝利したリトルアマポーラがいましたが、共にウオッカと比較するレベルにはなく2番手争いとして考えられ、人気でも大きく離されていました。
ウオッカにしてみると前年のレースでも断トツの一番人気でしたが今年と同じくドバイ遠征後のレースで惜しくも2着に敗れていましたので(その次の安田記念では圧勝していますが……)、雪辱を喫するレースとなりました。

○レース
レースについてはまずウオッカがどのような走りをするかに注目が集まりました。
海外遠征明けで体調がどうなのか、若干折り合いに苦労するようなところがあるという2点が不安要素としてありましたが、その心配は杞憂に終わります。
3枠からスタートしたウオッカは抜群のスタートから内側から先行する馬を行かせて、馬なりのまま好位の6番手につけます。
一方カワカミプリンセスリトルアマポーラはそのウオッカの少し後ろからのレースとなり、全体的には少し遅いペースでレースは進みます。
ウオッカは引っかかることもなく、折り合いもついており抜群の手ごたえのままレースは進みます。
最終コーナーを回り直線に入って周りの騎手の手が動く中、ウオッカの鞍上の武豊騎手の手は全く動くこともなく馬なりのまま先頭を伺います。
外から追い上げに入ってくる馬もいるなか、ウオッカ武豊騎手の手が少し動くとそこから抜け出しグングン加速、そこからは差は開く一方で最後は流したまま一着でゴールとなりました。
2着には先行してそのまま粘った伏兵のブラボーデイジーとなりましたが、その差は7馬身というマイルのG1ではありえない着差となり、タイムもヴィクトリアマイルのレースレコードでの決着となりました。
ウオッカの生涯で一番の圧勝劇でレースは終了しました。

○感想

ライバルが不在だったとはいえ、マイルのG1で7馬身、タイムにして1秒以上の差をつけたというのはなかなか見ることができません。
ドバイでの不振や海外帰りの体調不安、前年のレースも同様の条件で取りこぼしていたため少なからず不安はありましたが、それを一掃するような圧勝劇となりました。
ダービーの制覇や天皇賞の熱戦、ジャパンカップの制覇等中距離でも結果を残していたウオッカでしたが、このレースや安田記念の連覇等府中のマイルが一番合っていたように思えます。
ウオッカといえば牝馬でダービーを制したことから牡馬と牝馬の垣根を超えた馬でしたが、それともう一つマイルからクラシックディスタンスまで距離の垣根を超えた馬でもありました。
(今年の安田記念に参戦が決定したアーモンドアイにも同様の期待がかかります!)
この後安田記念と秋になりジャパンカップも制覇しG1を合計7勝をあげ、歴史に残る名牝となったウオッカの中でも一番強い競馬となりました。

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名レース列伝 第4回 「第3回NHKマイルカップ(1998年)」

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○基本情報
 日時  1998年5月17日
 競馬場 2回東京8日目
 距離  芝左1600m
 馬場  芝 : 稍重
 結果  1着 エルコンドルパサー
     2着 シンコウエドワード
     3着 スギノキューティー

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○背景
第4回目の名レース列伝は第3回のNHKマイルカップです。
今と違い当時は外国産馬がクラシックや天皇賞に出走することができなかったため、3歳春の時点で外国産馬が出走できる唯一のレースで丸外ダービーとも言われてました。
現在は内国産馬の力が上がったことと、為替や景気等の影響で海外のセリで日本人馬主がそれほど影響力が無くなり大物外国産馬が少なくなったこともあり、その隔たりがなくなりクラシックも天皇賞等も外国産馬に開放され、今となっては丸外の響きが懐かしい限りです。
この年の3歳馬は豊作で、クラシックではスペシャルウィークキングヘイローセイウンスカイがしのぎを削り、外国産馬としてもエルコンドルパサーグラスワンダーという2頭の怪物が揃ってました。
このHHKマイルカップは、当初前年の朝日杯を圧勝して怪物との評価を受けていたグラスワンダー、前年の秋にデビューしてからダートを大差で連勝し前哨戦のNZT3歳Sも勝利して芝適正も示した未知の強豪エルコンドルパサーの2頭の怪物外国産馬が初めて対決する予定で、また、両馬の主戦ジョッキーであった的場騎手がどちらに乗るかも話題となっていました(的場騎手はグラスワンダーを選んでいたようですね!)。
しかしグラスワンダーが故障により回避することが決まり、エルコンドルパサーが断トツの一番人気でレースを迎え、騎手も的場騎手が務めることとなりました。
グラスワンダーが回避したとは、トキオパーフェクトロードアックス・シンコウエドワードという3頭の無敗馬が出走し、のちのGI場であるエアジハードマイネルラブも伏兵として単勝1.8倍の圧倒的一番人気エルコンドルパサーに挑む形のレースとなりました。

○レース
グラスワンダーがいなくなった今、レースの興味はエルコンドルパサーがどのようなレースでどのように勝つのかの一点に注目が集まりました。
スタートしてまず先頭を伺うのが2番人気でスプリンターのトキオパーフェクト。スタートも良くスピードの違いですっと前に出ましたが、それを制して外からアマロが先頭に立ちます。
トキオパーフェクトはそのまま進み2番手の外、エルコンドルパサーもその直後4番手の外の絶好の位置取りを確保します。不利を受けることもなく、ペース的にも絶好であったこの位置を確保した時点で、もしかしたらこの時点ですでに勝負は決まっていたのかもしれません。
その他の有力馬は、ロードアックスは後方の馬郡の中、シンコウエドワードは5~6番手の内ラチ沿いピッタリを回っていました。
順調にレースが進む中、最終コーナーでエルコンドルパサーに若干の不利が生じます。特にほかの馬の影響があったわけではなさそうでしたが真ん中から大外に膨れてしまい、直線向くときに若干の距離のロスが生じました。
しかし、このくらいの不利はエルコンドルパサーにとってハンデにもならず、体勢を立て直して大外から直線に向かいます。
直線に入って早々に距離のせいかトキオパーフェクトが脱落し内側でロスなく回ってきたアマロが先頭に立ち、それを内からシンコウエドワードとスギノキューティー、外からエルコンドルパサーも追いかける形となります。
しかしそれもつかの間、直線半ばにはエルコンドルパサーが楽々と先頭に立ちそのままゴールに向かいます。
最後まで内側でシンコウエドワードが粘り、大外からは最後にゲイリーセイヴァーもやってきましたがすでに決着はついた後、エルコンドルパサーがそのまま危なげなく押し切り一着でゴール、NHKマイルカップの三代目の覇者となりました。

○感想
当時の正直な感想としましては、エルコンドルパサーが思っていたより強くないと感じていました。
※これはもちろん間違いで、少しでもこんな考えを持ってしまったのが恥ずかしい限りです……
GIを優勝した馬に強くないとは失礼な話ですが、グラスワンダーがいない中であればもっと圧倒的な強さを見せてほしかったというのが本音でした。
改めてレースを見ると全く危なげなく、着差こそついてはいませんが圧勝しているのですが、前年のグラスワンダーの強さを見ていたのでもし回避していなければグラスワンダーが勝っていたのではないかという意見が当時は多くありました。
しかし、距離的にも血統から当時はマイル位がベストと判断されておりましたがこの後の活躍を見ますと適正距離ではない中での圧勝であり、このレースを通過点としてエルコンドルパサーは日本を代表する名馬へと駆け上がりました。
この年のジャパンカップを3歳馬にして優勝、翌年の海外遠征では凱旋門賞こそ2着でしたが、欧州のクラシックディスタンスで対等な勝負ができた最初の日本馬であったと思います。
願わくば、グラスワンダーとG1の舞台で、お互いが力の出せる状態で戦ってもらいたかったと今でも思っています。

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名レース列伝 第3回 「第115回天皇賞(春)(1997年)」

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○基本情報
 日時  1997年4月27日
 競馬場 3回京都4日目
 距離  芝右 外3200m
 馬場  芝 : 良
 結果  1着 マヤノトップガン
     2着 サクラローレル
     3着 マーベラスサンデー

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○背景
第3回目の名レース列伝は第115回の天皇賞(春)です。
3強と呼ばれたサクラローレルマヤノトップガンマーベラスサンデーの三頭が賑わせたレースです。
前年の年度代表馬にして現役最強と呼ばれ当年は凱旋門賞を目標とすることが決まっていたサクラローレルは、今後の海外遠征を考えてか有馬記念からの直行でレースを迎えます。一方でサクラローレルには前年G1で二度完敗を期しており雪辱に臨むの前々年の年度代表馬マヤノトップガンですが、前走の阪神大賞典で後方からの競馬で新しい一面を見せ、当レースでの出方が注目されていました。またこの時点ではまだ無冠ではありましたがマーベラスサンデーもG1を勝つのは時間の問題と思われており、前走の産経大阪杯をきっちり勝利して当レースに挑みます。
そしてこの三頭の騎手は横山典弘田原成貴武豊という当時のトップジョッキーであり、長距離戦の騎手の腕比べとしても期待して見ていました。
今でこそ直距離戦の当レースは有力馬に敬遠される傾向が強いですが、当時は古馬の春の最強馬決定戦として歴代の優勝馬は超一流の名馬ばかりのレースで、その中でも上位にくる名勝負となりました。

○レース
レースが始まるうえでまず注目されたのがマヤノトップガンの出方になります。前年までは逃げや先行で実績を上げていましたがその一方で最後差されることが多かったトップガンが、前走で後方からの競馬で新たな強さが発揮されたことでどういった位置での競馬になるのか皆の興味をひいてました。
そのトップガンはスタートすると今回は前走と同様後方からの競馬を選択します。サクラローレルは中断の外で不利のない位置取り、そしてマーベラスサンデーサクラローレルを直後でピッタリマーク、相手はサクラローレル一頭と決めつけたような位置取りになります。
淡々と流れていく中で一週目の直線を終えコーナーから向こう正面に入る頃からレースが動き出します。過去のレースでは折り合いに苦労してるイメージはなかったサクラローレルが、休み明けのせいか引っかかるそぶりを見せ向こう正面で徐々に前に進出します。あまりペースは速くなかったのとサクラローレルの力を信じたのか横山騎手はそのまま馬の行く気に任せて先団に上がっていきます。それをうけて相手はサクラローレル一頭と決め込んでいたかどうかはわかりませんがマーベラスサンデーも後を追って進出していきここから激しい流れとなっていきます。その一方マヤノトップガンは息を潜めていたといった表現が一番しっくりくるように、後方の内側でじっくり構え全く動くそぶりを見せませんでした。
そのまま最終コーナーをまわり直線に入ったころにはサクラローレルが先頭、それを直後からマーベラスサンデーが馬体を合わせて追い上げる形になり2頭の一騎打ちのような形となります。その頃息を潜めていたマヤノトップガンは後方のインコースからいつのまにか大外に持ち出して、直線にかけていました。
2頭のマッチレースに沸く競馬場でしたが、直線を半分過ぎる頃大外からマヤノトップガンがやってきます。相手を見るではなく自分の競馬に徹していたマヤノトップガンが大外一気、これぞ並ぶ間もなくといった形で2頭を交わしてそのまま先頭でゴール、レースのタイムは当時のレコードを3秒近く縮める世界レコードでの決着となりました。

○感想
このレースは3強がそれぞれ力を発揮したことはもちろん、3頭の騎手もそれぞれの思惑の中三者三葉の力を出し切ったレースとなったのではないでしょうか。向こう正面で掛かり気味になったところ馬の力を信じて行く気に任せた横山騎手、サクラローレル一頭を徹底マークして他に負けたら仕方ないといったレースをした武豊騎手、自分の競馬に徹して周りに惑わされなかった田原騎手、それぞれの騎手の腕比べについても楽しむことができました。
もちろんサクラローレルが休み明けだったことについて、前年の有馬記念の結果から正直少し他の馬を見くびっていたとも感じましたが、3強が持てる力を十分に発揮したレースであったと思います。
このレースを最後にマヤノトップガンは怪我で引退、サクラローレルも海外挑戦しましたが怪我で凱旋門賞には出れず、唯一マーベラスサンデーが次走の宝塚記念で念願のG1馬となりましたがその後怪我で休養、年末の有馬記念で復帰そして引退となりました。
このレース自体が怪我と何か関係があるわけではないですが、それだけ3頭とも力を出し切っていたのではないでしょうか。
歴史に残る三強と呼ばれる馬によるレースであったと思います。

○リンク 

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